一方で働く女性の中には、子どものいない雅子さまを頼みとしていた人もいたのではないかと山田さん。「私自身、妊娠しない状況が長かったから、雅子さまには『産まなくてはならない』状況を突っぱねてほしい。そんな思いも、正直ありました」

 お金にゆとりある官僚の家に育った雅子さまは「突っぱねる」タイプではないと思う。愛子さまが生まれてからは、本当に子育てが好きな方だとわかった。だからこそ、と山田さんは言う。「治療云々(うんぬん)ではなく、プレッシャーのない状況で、のびのびと好きなことができていたら、もっと早く妊娠なさったかもしれないと思うんです」

 確かに「治療をやめた途端に妊娠した」とは、女性同士でよく聞く話だ。山田さん自身も治療をやめてしばらくして、自然妊娠したという。出産には至らなかったが、すごくうれしかったと振り返る。

 雅子さま自身が「プレッシャー」とは何かを語ったことは、一度もない。ただ一度だけ、ニュージーランド・オーストラリアを訪問するにあたっての記者会見(02年12月)で、結婚前は日常だった「外国訪問」が難しかった状況に触れ、「正直申しまして適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」と述べた。ただ当時、この発言の含意がどこまで理解されていたかというと、かなり疑問だ。その意味でも雅子さまは孤独だったと思う。

 皇太子さまは「人格否定」に言及した会見で、具体的にはどういうことかと尋ねられ、「外国訪問などもできなかったということなども含めて」、雅子も私もとても悩んだと述べた。雅子さまの近くには、大いなる理解者がいた。そう思うと、救われる気持ちがする。

 雅子さまの30年は、日本の少子化が着々と進行した30年だった。厚生労働省の「人口動態統計」を見ると、結婚した93年の出生数は118万8千人、愛子さまが生まれた01年は117万人、令和の始まった19年は86万5千人だ。

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