2001年12月8日/愛子さまを出産後、宮内庁病院を退院する雅子さま。皇太子時代の天皇陛下が付き添った
2001年12月8日/愛子さまを出産後、宮内庁病院を退院する雅子さま。皇太子時代の天皇陛下が付き添った
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 均等法第1世代としてキャリア官僚だった雅子さまが、現在の天皇陛下とご結婚されて30年。キャリアと出産と向き合った雅子さまを女性たちはどう見ていたのか。AERA 2023年6月12日号の記事を紹介する。

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 天皇陛下と雅子さまの結婚30年を、令和初日の2019年5月1日から振り返ることにする。新天皇即位の儀式を中継するNHKの特別番組には田園調布雙葉学園で小学校から高校まで雅子さまと一緒だった友人2人が出演した。土川純代さんは、「お互いに均等法施行後の1期生として一緒にキャリアを積んで、社会貢献できるようにとよく語り合っていました」と言っていた。

 雅子さまの外務省入省は1987年、男女雇用機会均等法施行の翌年だ。施行から90年までに就職した総合職女性を「均等法第1世代」と呼ぶことが多い。銀行に総合職として入行したという土川さんは、それを「1期生」と表現したのだろう。

 93年1月、婚約決定後の初めての記者会見で雅子さまが、「今、私の果たすべき役割というのは殿下のお申し出をお受けして、皇室という新しい道で自分を役立てることなのではないか、と考えましたので、決心したわけです」と語ったことはとても有名だ。新しい道=皇室外交。誰もがそう思ったはずだ。

よりお心を添えられる

 94年には湾岸4カ国を、95年には中東3カ国を訪問したが、出産までの外国への公式訪問はそれだけ。葬儀と結婚式の参列がそれぞれ1度。そして雅子さまは「適応障害」という病を得る。04年、病名が公表された時、「皇室外交」のままならなさと結びつけて理解した国民は多かったはずだ。

 令和初日、もう1人の友人・谷川由子さんはこう言っていた。「つらいことも多かった雅子さまだからこそ、難しい環境にある方、悲しい思いをなさっている方に、よりお心を添えることができる立場であり、そのことでご自身が輝くことになる。そうお察し申し上げております」

 令和に入りすぐ、トランプ米大統領夫妻が来日。堂々たる雅子さまに国民が魅入られて間もなく、コロナ禍が世界を襲った。谷川さんの言葉を借りれば、「難しい環境にあり、悲しい思いをしている」人が増えている。雅子さまの30年がますます意味を持つということだろう。

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矢部万紀子

矢部万紀子

矢部万紀子(やべまきこ)/1961年三重県生まれ/横浜育ち。コラムニスト。1983年朝日新聞社に入社、宇都宮支局、学芸部を経て「AERA」、経済部、「週刊朝日」に所属。週刊朝日で担当した松本人志著『遺書』『松本』がミリオンセラーに。「AERA」編集長代理、書籍編集部長をつとめ、2011年退社。同年シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長に。2017年に(株)ハルメクを退社、フリーに。著書に『朝ドラには働く女子の本音が詰まってる』『美智子さまという奇跡』『雅子さまの笑顔』。

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