「兆候」報道への違和感

 雅子さまを見る同世代女性の目だが、「十分に働けていない」がまずあり、次に「お世継ぎばかり期待される理不尽」があったと思う。だが、雅子さまの「妊娠」そのものを熱く見ていた同世代女性がいた。例えば、不妊治療に取り組む女性たちだ。

 そのことを思い出したのは22年3月、コラムニストの山田美保子さんが書いた「不妊治療に明け暮れた10年を振り返る」(「婦人公論.jp」)という記事を読んだ時だ。雅子さまより6歳年上の山田さんは、「兆候」が報じられた時、不妊治療の真っ最中だった。月刊誌で山田さんの担当をしていた私はそれを知っていて、さらに記事について「あのような状態なら、私は何度もなっている」と言うのも聞いていた。本当に妊娠に至るのだろうかと心配していた。

 流産が発表された時、山田さんの心配が現実になったと思った。それから20年以上たち、山田さんの不妊治療について、じっくりと読んだ。10カ所以上の病院に行ったが子どもはできず、心も体も不調をきたした、今も不妊関連の記事を見つけると切り抜くし、関連するテレビを見て大泣きすることもある──包み隠さない内容に心を打たれた。印象に残ったのが、「まだ『妊活』といった前向きなワードは存在せず、不妊治療のイメージに“明るさ”は皆無でもありました」という一文だった。

 雅子さまが「出産」に向き合ったのは、こういう空気の時代だった。雅子さまの“孤独”がより切実に感じられ、山田さんは当時、雅子さまに何を思っていたのか、聞くことにした。

「今でも、子どもがいたらどんな人生になっていたかと思います」。5月に66歳になったという山田さんは言った。そして、「僭越(せんえつ)ながら、雅子さまに自分を重ねていましたね」と振り返った。生理がしばらく止まっても、妊娠には至らない。そんな経験は何度もしたので、ごく初期の段階での報道には違和感があった。「早く、早く」と言われているようでつらかった、と。

少子化が進行した30年

 出産プレッシャーの話では、「家系図には数字があるんですよ」と言った。

 構成作家としてワイドショーにも関わっている山田さん。ことあるごとに家系図が映るのは、視聴率が取れるからだという。「どうしても産まなければならない家というのはあって、そういうところに嫁いだ人はたくさんいる。雅子さまに自分が重なり、苦しかったと思います」

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