光照院にある「あさくさ山谷光潤観音像」。吉水も死後は、この合葬墓に共に納まるつもりだ(撮影/横関一浩)
光照院にある「あさくさ山谷光潤観音像」。吉水も死後は、この合葬墓に共に納まるつもりだ(撮影/横関一浩)

 光照院・住職、吉水岳彦。葬式仏教と言われ、信仰が生活から遠のいた現在、宗教家に期待する人はどのくらいいるのだろう。その中で、朝晩の勤行を欠かさず、酒も煙草も妻帯もせず、路上生活者や被災者と目線を合わせて祈り続ける僧侶が吉水岳彦だ。東京都台東区のドヤ街山谷にある光照院の住職。阿弥陀様を心に持つ幸せを伝える役目にまっすぐに向き合う。

【写真】路上生活者支援の雑誌「ビッグイシュー」を応援するイベントでの吉水岳彦さん

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 駅を降りると、そこはドヤ街山谷だ。高度経済成長期に全国から日雇い労働者が集まった。彼らが年を重ねた現在は福祉の街と呼ばれる。吉水岳彦(よしみずがくげん・44)は、東京メトロ日比谷線南千住駅から徒歩10分、台東区清川にある光照院16代僧侶だ。

 勤行を怠るな。凡夫の自覚を持て。教えを学び説くべき。清掃せよ。質素倹約、振る舞いや身だしなみに気をつけよ。飲酒を控えよ──。

「浄土宗僧侶生活訓」の訓示だ。サブタイトルは「あるべき僧侶の姿を目指して」。浄土宗総本山知恩院の浄土宗総合研究所が2022年3月に発行した、浄土宗僧侶に向けた行動指針書。

 宗教が人を救うものだとすれば、宗教家の役割は、神あるいは仏と私たちをつなぎ、信仰に向かう手助けをすること。だが、信仰が生活から遠くなり、世の中は宗教家に期待をしなくなった。「生活訓」の道徳の教科書のような文言にはそうした空気に対する浄土宗の危機感が透けるようだ。

 ところが、吉水は妻帯せず飲酒せず煙草(たばこ)を吸わず、朝晩の勤行を欠かさない、そんな「生活訓」の手本を地で行く生活をしているというのだ。分岐点となった出会いが二つある。ひとつは路上生活者、もうひとつは東日本大震災の被災者との出会いだ。筆者は数カ月の取材で彼らを訪ねる吉水に同行し、吉水と信仰を間近で考えることになる。

 浄土宗では戒律が明治期以降緩くなり、妻帯も一般化した。現在は全国に6千ほどある浄土宗の寺の多くが親から子へと寺の継承をしている。光照院もそのひとつだ。

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