路上生活者支援の雑誌「ビッグイシュー」を応援するイベント「りんりんふぇす」で。路上生活者支援の現場の話や、自身も理事を務めるNPO法人「山友会」の活動の紹介などをした(撮影/横関一浩)
路上生活者支援の雑誌「ビッグイシュー」を応援するイベント「りんりんふぇす」で。路上生活者支援の現場の話や、自身も理事を務めるNPO法人「山友会」の活動の紹介などをした(撮影/横関一浩)

■「私の中に差別があった」 元路上生活者の墓を建てる

 忘れていた路上生活者の姿が吉水の内側に立ち上がる。山谷は江戸期から貧しい人たちが多く暮らし、明治期には木賃宿と下層労働者の町だった。戦後は1945年3月の東京大空襲で居場所を失った戦災浮浪者や戦災孤児を収容した時期を経て、高度経済成長期には全国から日雇い労働者が集まった。吉水の子ども時代、すぐそばの小学校に行く途中の道路には酔っ払った男性が何人も横たわり、休み時間には子どもたちの遊ぶ姿を眺める労働者がフェンスに鈴なりに群がった。夜、光照院の墓地で酒盛りをして騒ぐ人もいた。「日雇い労働者は危ない。近づくな」と教えられ、気づけば敬遠していた。吉水は言った。

「私の中に差別があったんです。フェンスに群がったおじさんたちを怖いとしか思わなかったけれど、故郷に残してきた子どもを思って僕らを眺めていたのかもしれません。道で寝ているおじさんの一人ひとりに物語がある。誰もが懸命に生きていた。けれど、ちょっとしたことで人生がずれてうまくいかなくなることはある。そこに思いが至っていませんでした」

 元路上生活者たちを葬る「結の墓」は2008年に光照院の墓地に建てられた。路上生活者支援活動団体「ひとさじの会」を、金田をはじめ仲間たちとつくったのは次の年だ。毎週月曜夜、吉水は上野公園を夜回りすると決めている。光照院にはその後、山谷地区で路上生活者支援活動をするNPOやホスピスなど三つの団体の合葬墓が建った。この秋にはビッグイシューの墓が完成する。

(文中敬称略)

(文・三宅玲子)

※記事の続きはAERA 2023年6月12日号でご覧いただけます

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