「酔っ払ってへべれけになって地面で寝てしまう。何度も自分の中で調整しました。でもやめるにやめられませんでした。相手を批判しないと気のすまない自分の驕(おご)りが醜く感じられて落ち込みました」

■30歳過ぎで結婚見送る 支援活動の一歩を踏み出す

 アルコールの過剰摂取で脳機能障害を起こし、そのとき失った記憶の一部は今も回復していない。

 30歳を過ぎた頃、結婚を見送った。こども会の活動で出会った女性と心の深いところで信じ合う関係を育んでいた。他者から愛を注がれることの幸せ、他者との関わりによって心が揺さぶられる感覚を初めて味わった。だが女性が家族の介護に直面し、遠方に暮らす家族の問題を押し切ることに互いが躊躇(ちゅうちょ)した。寺は家業だ。檀家(だんか)への応対をはじめ、夫婦で寺を守ることになる。パートナーの人生を狭めてしまいかねないことに疑問を感じた。世襲と寺への疑問を個人の問題としても意識した。胸に痛みは残った。

 前後して父が浄土宗本山から執事という役割で招聘(しょうへい)される。留守の光照院を守るため、研究者の道はあきらめた。

 つくろい東京ファンド代表理事の稲葉剛(53)は、この頃、吉水と知り合った。稲葉は大学生だった1994年から路上生活者支援活動に関わり、10年がたったその頃は、亡くなった路上生活者を葬る墓をつくろうと奔走していた。

 死後を託せる家族のいない人たちが安心して旅立てるよう墓をつくりたい。稲葉の話を聞いた吉水は、まずは路上生活者たちを知りたいと、正月に新宿の公園で稲葉たちが実施する炊き出しに参加した。何百人もの人たちが並ぶ炊き出しを手伝い、休憩していたとき。あんた、坊さんか。懐かしいなあ。路上生活者に声をかけられた。男性たちは、子ども時代に寺の境内で遊んだ、住職からおやつをもらうのが楽しみだった、などの思い出を口にした。稲葉は言う。

「吉水さんがくると、みなさんが喜びました。支援団体はキリスト教系が多かったんですが、年配の路上生活者の人たちにとっては子どもの頃からお坊さんが身近な存在だったんでしょう」

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