
国有化が決まった後、頭取は国会に呼ばれ、質疑を受けた。その対応をしながら「頭取を守らなければいけない」との思いと、「自分はまだ33歳で、子どもも小さいし、住宅ローンの残高も多い。どうなるのか」と逃げ出したくなるような恐怖感。自分の中に「2人の自分」が同居している状況で過ごしたことを、思い出す。
東郷氏は日債銀の経営を支えるために、日銀から送りこまれてトップに立った。不良債権をつくった人ではない。裁判でも無罪になった。そして、どんな逆境でも、明るく振る舞った。これも「トップとしての振る舞い」の一つだろう。
自分もロイヤルへ中途採用で入り、経営路線の対立から思いもしなかった社長になり、東日本大震災による影響や今回のコロナ禍などいろいろな危機に直面した。そんなとき、社員たちに明るく繰り返したのが「やまない雨はない、明けない夜はない」で、東郷氏から教わった言葉だ。同時に、いつも思い起こすのは、記者会見での毅然とした姿。あの光景をみていなかったら、いまの自分はなかった。九段下を2人で巡りながら、そう確信した。
最後に、九段下から日債銀を辞めるまでに何度も歩いた九段坂を上り、千鳥ケ淵公園へいった。「2人の自分」のうち「恐怖感」を抱いていたほうを、振り切った場所だ。ここで「これからやりたいこと」を聞いた。
社長時代に「やらなければならない」と思っていたことは、半分くらいしかできていない。残ったことは3点、人材の流動化、新たなチャレンジ、グループ企業間の垣根をなくす。これらはまだ道半ばで、会長に退いて次のトップに引き継いだ。
会長と言っても、まだ57歳。まだまだ何かできるだろうが、やりたいことはみつかっていない。京都大学の大学院で院生に講義し、社内経営塾でも社員たちと思いを交換しているが、何も描き切れていない。
壁となっているのは生来の効率優先主義で、合理性を追い過ぎるためか。でも、それは、全く想定外だった頭取秘書というすべての主語が「頭取」で動く立場になったとき、塗り替えられたはずだ。必ずや、その壁を飛び越えるものがみつかる、と思っている。みつかったら、東郷氏に報告に行くのだろう。
(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2023年5月15日号