Y校(横浜商業)のエースとして注目された三浦(1983年夏の甲子園)
Y校(横浜商業)のエースとして注目された三浦(1983年夏の甲子園)

 大谷翔平をはじめとした成功者について語る際、陰で積み重ねた「努力」が強調されるのが常だ。だが、常人にはその努力が難しい。かつて甲子園を席巻した一人の元野球選手の話から、「大谷にはなれない」僕たちの努力術を考えてみたい。

【かつてのチームメイト、中日ドラゴンズの山本昌さんとの写真はこちら】

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 大リーグでベーブ・ルースと並び称される活躍を続ける大谷翔平を観ていると、天才が並外れた努力をした結果だと思う。彼は日本ハムプロ野球選手として歩み出した頃から「練習ばかりしていて、夜、遊びにも行かない珍しい奴」と言われていた。当時、彼が珍しく付き合いで女性のいる店に行くと、その逞しい腕を触ってウットリとしたホステスがいて……普通の男子は(もちろん私も)ニヤけてしまう場面だが、ムッとして「何、勝手に触ってんの!」と声を荒らげた、という。

「米国でも自炊して睡眠にこだわり、酒を飲みに行かない。普通の選手は野球で活躍して稼ぎたい、女の子にモテたいと思うものだけど、そういう二次的な欲がない。ただ自分が投げて打って試合に勝ちたいだけ。努力してるとも思ってないでしょ」

 大谷を観ているとベテラン記者のこんな言葉を思い出し、連想ゲームのように某甲子園のアイドルを思い出す。それは80年代前半、“悲運のエース”と呼ばれた神奈川のY校こと横浜商業の三浦将明。2人が似ている訳ではない。逆に対照的だからこそ今、三浦の話を聞きたいと思うのだ。

 以前、専門誌でインタビューさせてもらったとき、彼は自分を「努力したことない奴」と評し、こう言っていた。

「何かをしないと甲子園には行けない、と思います。僕も、たとえば、フォークボールを投げられるようになろうとして、何かをしたんです。ただ、それは努力という言葉まで達していない。サボりまくってましたから。ダッシュ10本のところを3本とか、いつもチョンボしてましたもん(笑)」

 それでも彼がエースだった当時のY校は激戦区・神奈川から3回、甲子園に出場し、うち2回は準優勝。1984年にドラフト3位で中日に入団した彼のポテンシャルが高かったことは疑うべくもない。

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