「後悔は、しています。もうちょっとやっとけばよかった、と。プロのときは特にそうで、輪をかけて遊びましたもん。どんだけ楽して1軍に行くか、とか思ってて(笑)、何も考えてなかった」
こんなふうに自分を飾らずに言える人の言葉だからこそ聞く価値がある。
現在の彼はスポーツデポ小牧店の“野球アドバイザー”で、道具選びのアドバイスだけでなく、店舗内のバッティングケージで技術指導もしている。自分を「努力したことない奴」と評す彼は、どんな指導をするのか? 半生を振り返ってもらうと、それは努力を具体化していく過程のようだった。
タクシー運転手だった父親は彼の中学時代、試合に勝つと監督や仲間の親を10人以上家に呼び、自腹で酒を飲ませた。「僕の応援をしてくれる人を増やしたかったみたいで……」(三浦)。だが、将明が中3のときにがんと診断され、医者から「今年いっぱいでしょう」と宣告されてしまう。幸い、その余命予測は何度も外れ、その間に息子は“Y校のエース”として甲子園に3度出場した。2年春に荒木大輔を擁する早実に勝って注目され、3年春には豪打の池田高校に敗北。雪辱を期して臨んだ最後の夏は、その年デビューした“KKコンビ”(桑田真澄、清原和博)のPL学園に敗れた。
「オヤジはY校の父兄会の会長をやって、遠征先の試合も全て観に来ました。僕の野球に命を懸けてくれてたんです」
爽やかな笑顔が印象的な甲子園のアイドルに、そんなバックグラウンドがあったとは……そりゃあ自分から「努力しました」と口にするような薄っぺらな生き方ができる訳がない。
「試合に勝っても変なピッチングをするとオヤジに説教されました。怒られる、と思うと、それが染みついて変なピッチングをしなくなるんです。今の子たちも、そうですよ」
■落合と山本昌の“努力”が刺激に
三浦が父親に褒められたのは1回だけ。高3の夏の地方大会決勝で横浜高校に勝ったとき、「よく頑張ったな」と握手された。投球制限のなかった頃の神奈川大会の最後は3連投。「点滴打って27回投げて、ポカリスエットを10リットル飲みましたけど4キロ痩せてました」