寝耳に水の通告に「気持ちの整理がつかない」とショックを受けた江藤だったが、西武では08年に代打の切り札として7本塁打とベテランの味を発揮し、日本一に貢献した。

 江藤の翌年、今度はFA移籍7年目の工藤公康が同じ道を辿ることになる。

 巨人にFA移籍した門倉健の代わりの先発要員、若手に豊富な経験を伝える役割も期待され、史上最年長の43歳の人的補償選手として横浜へ。

「こんなおじさんでも、ローテーションの一員として期待してくれているのであれば、うれしいこと」と割り切って4球団目のユニホームを着た工藤は、1年目に巨人戦で通算13球団目の勝利投手になるなど、7勝を挙げ、古巣を見返した。

 11年オフにも、藤井秀悟が、村田修一の人的補償でDeNAへ。2年前、日本ハム戦力外になった際に、FA移籍という形で巨人に拾ってもらった藤井は「(結果を出せないまま)巨人を離れるということは残念ですが、新天地でチャンスを掴み、これまでお世話になった巨人軍に恩返ししたいと思います」と誓い、1年目に7勝と復活した。

 13年オフは、巨人在籍2年間で13試合、0勝0敗だった一岡竜司が、大竹寛の人的補償で広島移籍後、いきなり31試合登板の2勝2セーブ16ホールドとブレイク。その後も中継ぎの柱としてV3に貢献し、「人的補償が大竹」と皮肉られるほどの活躍を見せた。

 一方、同年、片岡治大の人的補償で西武に移籍した脇谷亮太は、新天地で2年間、準主力として貢献したあと、師と慕う高橋由伸の新監督就任を機に「力になりたい」とFA権を行使して巨人復帰。人的補償で出ていった選手がFAで戻ってくるのは、これまた史上初だった。

 14年オフには、高卒1年目の奥村展征が相川亮二の人的補償でヤクルトへ。史上最年少、史上最短の移籍に、2年目の飛躍を期していた本人も「移籍を考えていなかったので、驚きました」と戸惑った。「まさか高卒1年目は取らないだろう」とプロテクトから外した球団の思惑外れも「育成軽視」と批判された。

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“巨人愛”を貫いた投打のベテランも流出