もうちょっと具体的に言うなら、どんなふうになるだろう。ここで、日本人としての理想像を掲げてみよう。先述の「教育基本法」に出てきた「自立的に生きる」個人のイメージだ。ここでは「自律」の文字を使ってみる。

「学校とは、自律して学び生活できるように、良い学習習慣と生活習慣をつける装置」

 である。だいぶ、具体的になってきた。

 最後にもう一段深掘りして意味を絞りこむとすれば、「How?」すなわち「どのように?」という点が残っている。方法論の問題だ。

 なぜ、学校という建物が要るのか? なぜ、そこに児童生徒を集める必要があるのか? に答えなければいけない。習慣づけがすべてリモートで可能なら、仮想空間のキャンパスに全員が通うスタイルでもいいはずだ。そうでないとするなら、学校というのは、わざわざ人を集めて、集団の力で社会訓練する場であるということを明示すべきかもしれない。

 すると、こうなる。

「学校とは、自律して学び生活できるように集団の力で良い学習習慣と生活習慣をつける装置」である、と。

 どうにか、一行ちょっとでおさまった。

「学び」と「学習」がかぶるが、学校の定義なのだから、まあいいだろう。それでも「生活」が二度出てきてしまうのは、ちょっとカッコ悪いような気がしてきた。そこで、これからの児童生徒は100年の人生を生きるのだから、「学び続ける人生」をイメージして「自律して学び生活できる」ではなく「自律して学び続ける」としてみると、決定打はこうなる。

「学校とは、自律して学び続けられるように集団の力で良い学習習慣と生活習慣をつける装置」である。

 これなら、生涯学習の精神も内包しているから、文科省の総合教育政策局も喜ぶのではないか。

●藤原和博(ふじはら・かずひろ)
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。78年、東京大学経済学部卒業後、現在の株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任し、93年よりヨーロッパ駐在、96年、同社の初代フェローとなる。2003~08年、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校の校長を務める。16~18年、奈良市立一条高等学校校長。21年、オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」を開校する。 主著に『10年後、君に仕事はあるのか?─未来を生きるための「雇われる力」』(ダイヤモンド社)、『坂の上の坂』(ポプラ社)、『60歳からの教科書─お金・家族・死のルール』(朝日新書)など累計160万部。ちくま文庫から「人生の教科書」コレクションを刊行。詳しくは「よのなかnet」へ。