戦後70年に渡って維持してきた現代の学校というシステム。しかし、「一斉授業」というスタイルは20年前からすでに無理があったのだ。社会全体の無理な要請に応えようとして学校がウソをついている、と指摘するのは教育改革実践家の藤原和博氏だ。藤原氏の新著『学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール』(朝日新書)では、学校が「本業回帰」でよみがえるために、複雑になりすぎたシステムをもっとシンプルに問い直し、学校を再定義していく。その内容を、同著から一部を抜粋、再編集し、紹介する。
* * *
■学校を再定義する
まず、学校と先生の役割をもっと絞るべきだろう。
それをしないで「児童生徒の全人格を……」などと不可能なお題目を唱えているから、キリのない仕事に際限なく追い詰められてしまうのだ。
改めて、シンプルに問い直そう。
「学校とは何か?」
学校とは、何をする場所なのか? 何を成し遂げれば、5兆円以上の税金投与がきちっと成果を上げたと評価できるのか?
「先生とは何か?」
どんな仕事をする人のことを言うのか? 何を成し遂げれば、その年収に足る成果を上げたと評価できるのか?
初めに結論を述べてしまおうと思う。
私の言葉遣いでは次のようになる。あなたは納得できるだろうか? より良く納得できる言い方があれば、もちろんあなたなりに言い直してもらって構わない。ただし、一行でだ。でないと、みんなが覚えられないから。覚えられないものは、目指せないから。
「学校」とは、児童生徒に、良い習慣をつける装置である。
「先生」とは、児童生徒の、できないことをできるように、わからないことをわかるようにする仕事をしている人である。
今一度、問い直す。
学校とは、何か?
普通なら、もっと大所高所から定義しようとするだろう。すると、「教育基本法」が登場する。「教育基本法」によると、教育の目的は次のようになる。