だが、キャンプ中に起きた右肩の違和感が、運命を大きく変える。

 段階的な投球練習とリハビリを経て、3月20日のオープン戦で初登板した森だったが、初回、先頭打者に3球目を投じた際に右肩を脱臼し、激痛でマウンドにうずくまった。検査の結果、関節唇損傷で全治1年と診断された。

「こうなったからには、焦っても仕方がない。今後のことはこれから考えたい」と2年目の復活に賭けたが、調子はなかなか上がらず、翌07年1月に契約解除。新たに結び直したマイナー契約も同年6月に解除された。

 その後も森は、1年半リハビリを続けながら、メジャー再挑戦を目指したが、ついに夢は叶わなかった。

 それでも、あきらめることなく努力を続け、BCリーグ・石川の選手兼コーチ時代に球速を138キロ程度まで回復させている。

 森と同じ06年にメジャーに挑戦し、禁止薬物でクローズアップされたのが、入来祐作だ。

 巨人時代の98年の日米野球でサミー・ソーサから2打席連続三振を奪い、メジャー志向を強めた入来は03年オフ、日本ハム移籍に際し、2年後のメジャー挑戦の容認を要望した。

 そして、05年に6勝7敗、チームトップの防御率3.35を記録すると、ポスティングが不発に終わったあともオファーを待ちつづけ、翌06年1月中旬、メッツと年俸8600万円で契約した。

 だが、キャンプのブルペンで、当落線上の投手でもハイレベルの球を投げるのを見た入来は、実力の差を痛感させられる。

 キャンプ、オープン戦で結果を残せず、3A・ノーフォークで開幕を迎えた入来に、追い打ちをかけるように、4月28日、MLB禁止薬物規則違反が明らかになり、50試合の出場停止処分を受けた。日本で愛用していたサプリを禁止薬物と知らず使いつづけていたことが、アダとなったのだ。

 6月下旬に処分は解けたものの、3Aで4勝8敗、防御率4.70に終わり、1年で自由契約となった。

 翌07年はブルージェイズのテストを受け、ハイAからスタート。その後、2Aを経て、6月に3A昇格も、右腕の肉離れで再び2Aへ。8月下旬に解雇された。

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テスト生からメジャー契約を勝ち取った左腕