米国で逆境に耐え抜いた2年間を、入来は「野球選手としては暗中模索の日々ながら、人生経験としては非常に刺激的で、充実した毎日でした」(自著「用具係 入来祐作~僕には野球しかない~」講談社)と前向きに振り返っている。

 NPBを戦力外になったあとにテスト生としてメジャーに挑戦したのが、水尾嘉孝だ。

 ドラフト1位で大洋に入団した水尾は3年間未勝利に終わるが、オリックス移籍後、97年に68試合に登板するなど、リリーフ左腕として活躍した。

 そして、西武時代の03年オフに戦力外通告を受け、他球団のテストも35歳という年齢から不合格になると、「自分を偽ることなく、最後まで野球をやり切りたい」と決意して渡米。04年3月、エンゼルスのテストに合格し、年俸3600万円でメジャー契約を交わした。

 だが、傘下の3A・ソルトレイクでは高山病に悩まされ、首や腰の故障も相次ぐなど、満足に投げることができなくなり、メジャーでの登板を実現できないまま、06年2月に引退した。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。

著者プロフィールを見る
久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

久保田龍雄の記事一覧はこちら