アスレチックス時代の中島裕之
アスレチックス時代の中島裕之

 今年も千賀滉大(メッツ)、藤浪晋太郎(アスレチックス)、吉田正尚(レッドソックス)がメジャーデビューをはたした。その一方で、過去にはメジャー契約を交わしながら、1試合も出番なく終わった男たちもいる(文中の金額はいずれも推定)。

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 2年がかりで夢を叶えながら、メジャーの公式戦出場ゼロで終わったのが、中島裕之(現宏之)だ。

 西武時代の2011年、遊撃手としてパ・リーグ初のシーズン100打点を達成した中島は、オフにポスティング移籍を目指したが、独占交渉権を得たヤンキースと条件面で折り合わず、西武に残留した。

 翌12年オフ、中島は海外FA権を行使し、正遊撃手の補強を急務とするアスレチックスと総額5億5000万円プラス出来高で2年契約する。

「まだプレーしていないので、感じてみないとわからないが、やる自信だけはある」と活躍を誓った中島だが、開幕直前のオープン戦で一塁強襲安打を放って出塁した際に左太ももを痛め、故障者リスト入り。開幕後は3A・サクラメントに所属し、10試合連続安打を記録も、8月に40人枠から外れ、マイナーのまま1年目を終えた。

 翌14年も4月に40人枠から外れ、3Aでも打率.128、0本塁打と振るわず、2A降格。10月にFAになった。

 不振の原因は、天然芝の球場が大半の米国で、打球の速さの違いに戸惑い、守備のリズムを崩したことが、打撃にも悪い影響を与えたからといわれる。

 また、アスレチックスは、日本のメーカーからの広告料やテレビの放映権料など年間10億円前後の収入を見込み、中島が十分期待に応えられなくてもメジャーの試合で使いたい意向だったが、「使い物にならず、目をつぶることができなくなった」という話も報じられた。

 米国での成功例が少ない日本人内野手だが、中島も壁を打ち破ることができなかった。

 開幕直前の不運な故障でメジャーのマウンドに立つ夢が消えたのが、森慎二だ。

 西武のリリーフエースとして活躍した森は4年越しの直訴が認められ、ポスティングでデビルレイズと総額1億6200万円で2年契約を交わした。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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