東京で開かれた1964年五輪と比較すると、当時も開催への批判はあったが、戦後復興の証しだという熱気はあったという。一方、今回は膨大な予算を使いながら、かつてほどの盛り上がりは生まれなかった。コロナ禍で原則無観客開催だったことも一因と考えられるが、酒井さんは指摘する。
「アマチュアの祭典だった五輪も露骨な商業化が頂点に達し、巨額の税金を一部のお金持ちの間でシェアする機会になったとますます見えているのではないか」
実際、甘い汁を吸ったのは広告会社など一部企業だった。
組織委の職員はピーク時に7千人。各省庁や自治体の職員などのほか、電通の社員も100人以上集められたと報道されている。
「集められた人はみな実務にたけているわけではなく、お飾りの人もいたでしょう。人件費を高くするために、不要なポストが多く作られたのではないでしょうか」(酒井さん)
■最初で最後のチャンス
TBS系の報道番組「報道特集」が3月、組織委に社員を出向させた広告会社に対して1人につき1日20万円が4年間も支払われたと報じて話題になった。
そんな仕事は働く人にとって「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」になっていく。米国の人類学者デヴィッド・グレーバーが唱えた言葉で、例えば他人の尻ぬぐいや誰も見ない資料の作成がブルシット・ジョブだとした。酒井さんは『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』の著者でもある。
「ブルシット・ジョブは、富裕層とそれに付随する上位の人びとが不要なポストを作り、社会の生む富を回しあうことで生まれます。いまメガイベントは、このような社会の縮図です」
このような社会では、ブルシットではない意義のある仕事は条件が低劣だ。実際、五輪を底辺で支えた五輪ボランティアは無報酬だった。
「後世には、広告会社が利益をむさぼる東京五輪自体がブルシットであったと言われるかもしれません」
広告会社の指名停止で混乱が心配されている各地のイベントも、本来は丸投げしなければいけない仕事ではなかったはずだ。著述家の本間さんは言う。
「電通や博報堂に丸投げできなくなった担当者は大変かもしれませんが、現地に行って業者とやり取りすればいいのです。官公庁も民間も丸投げ主義をやめる最初で最後のチャンスです」
(編集部・井上有紀子)
※AERA 2023年3月20日号