きょうだいは別の人間であり、それぞれ違いがあって良い。だが、なにかと比べられがちで、どちらかが息苦しさを感じることもある。過去には、有名な野球選手の弟というだけでマスコミに取りあげられ、時には勝手に比較されたりもして、高校時代の一時期に生きづらさを感じた球児がいた。社会で活躍し父親にもなった彼は、「子育ての参考になれば」と、兄との「差」についての話をインターネットで発信し、自らの経験をつづっている。きょうだいの差に直面する子どもや戸惑う親がいるとしたら、どんなことを伝えたいのか。思いを聞いた。
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夏の甲子園出場をかけた地方大会が各地で繰り広げられていた2000年7月17日。ある新聞の朝刊に、東東京大会で敗れたある都立高校の球児の記事が載った。
「松坂弟 初戦で涙」
その記事には、敗戦後の彼の様子と、コメントが記されていた。
「ロッカールームに入るなり、顔をしわくちゃにして柱を拳で何度も叩いた。『兄貴ではなく、自分の実力で報道陣に囲まれたかった』」
彼についての当時の記事を探すと、見出しは「松坂の弟」。コメントには「兄の話」が入るパターンが多かった。
もちろん、本人が望んだことではない。
「僕は兄に追いつこうと思って野球をがんばっていただけですし、兄は兄でしかないんです。でも、マスコミや周りが『松坂の弟』という扱いをして、勝手に兄と比べたりしたんですよね」
当時をそう振り返るのは、松坂恭平さん(39)。2歳上の兄はプロ野球・西武や大リーグで活躍した松坂大輔さん(41)である。
時代は令和。平成に刻まれた「あの夏」を知らない若い世代も増えた。当時、恭平さんに起きた出来事を振り返る。
1998年、大輔さんは横浜高校のエースとして甲子園を春夏連覇。しかも夏の決勝でノーヒットノーランを達成し、「平成の怪物」と騒がれて時の人となった。そのころ、高校1年生だった恭平さんの日常にも変化が訪れた。