野球の実力で、大輔さんに追いつこうと努力していた恭平さん。「高校3年生になったときに兄のようになれればいい」と練習に汗を流した。

 にもかかわらず「この差はしょうがないよ」とも取れる言葉をかけられたり、「お前はお前だよ」などと、もう兄弟の勝負がついたかのように接して来る人がいて、それが悔しかったという。夢中で何かを目指している子ども時代に「負け」のようなレッテルを貼られたら、冗談じゃないと誰でも感じるだろう。

 一方で、両親はいつも通りだった。

「今思えばすごく気を遣ってそうしていたのかなと思いますが、それまでと何も変わらなかった両親の接し方には救われたと思います。だから、もしきょうだいの『差』に気づいたとしても、今まで通りに接してあげてほしいと思いますね」

 恭平さんは、「きょうだいの優劣って、そもそも何なんですかね」と率直な思いも口にする。

「そういうものがあったとして、長い人生のどこを切り取るかで変わると思うんですよ。才能だけではなく、例えば人間性の部分だったり、何を見るかで違いますよね」

 漫画の中でのできごとで、しかも古い話だが、昭和の人気野球漫画「タッチ」でも、高校生だった双子兄弟の弟・上杉和也と兄・達也を比較していたのは親でも本人たちでもない、周りの大人たちだった。「達也はそんな男じゃない」。「劣る兄」だと評価する周囲に、そう言い切った父は上杉達也という人間をしっかり見ていた。

 恭平さんも、ただ兄の背中を追いかけていただけ。変わったのはあくまで周りで、ひとりの高校生に生きづらさを感じさせたというのが正しいのかもしれない。

「僕の高校時代は『まれ過ぎた』とは思うんです。ただ、人の置かれた立場って、結局はその人にしか分からない。そう考えたら、生きている人みんなの立場が『まれ』なんですよね。『俺は松坂の弟じゃない、松坂恭平なんだ』とあの時は思いもしましたが、その自分だって、誰かのことを分かっていたわけではない。今はそんなことを思います」と当時を振り返りながら話す恭平さん。

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「自分は自分にしかなれない」