ほかに思い出深いレスラーといえばブルーノ・サンマルチノの息子だね。彼とはノースカロライナで一緒だったけど、これが馬鹿息子で(笑)。「俺はブルーノ・サンマルチノの息子だ」とことさらアピールしてきてね、なにかにつけて「うちのダディが、ダディが」というのにはみんな閉口していたよ。からだも小さいし、俺は稽古しなくても勝てるくらいの実力だ。鼻持ちならない奴ではあったが、性格の悪い奴ではなかったから、周りに好かれてはいたよ。「ダディが」以外はね(苦笑)。
最後に挙げるのは、金髪の“ネイチャーボーイ”としてアメリカで旋風を巻き起こしたバディ・ロジャースだ。馬場さんがよく「俺がアメリカにいたころ、ロジャースとどこに行っても、アメリカ中の会場が超満員だった」と言っていたもんだ。1960年代のことだね。
そのずっと後だけど、俺もアメリカのテレビマッチで戦ったことがある。1978年か79年で俺はグリーンボーイの日本人、ロジャースは60歳近いじいさんだ。当時の俺はロジャースのことをよくわかっていなかったから「なんでこんなおっさんとやらなきゃいけないんだよ」と悲しく思ったもんだ。挙句の果てに足四の字でギブアップ負けだ。あのときは情けなかったね。
ただ、振り返ってみるとロジャースは60歳近いのにピシっとしたいいからだをしてカッコよくてやっぱりスターだったし、今では戦えたことは俺の誇りだ。馬場さんもロジャースと戦っていたことを誇りに思っているようで、よくその話をしていたから「俺も戦ったことありますよ」とは最後まで言い出せなかったね……。馬場さん、俺もロジャーズと戦ったんですよ!
(構成・高橋ダイスケ)
天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。