夏の甲子園大会出場をかけた地方大会もたけなわ。過去の大会では、のちにプロ入りした好投手同士が球史に残るライバル対決を繰り広げた試合も数多い。
【写真特集】あの伝説のマネージャーも登場! 増刊『甲子園』の表紙を飾った美少女たち
代表的なひとつが、1998年の鹿児島大会決勝の鹿児島実・杉内俊哉(元ソフトバンク‐巨人)vs川内・木佐貫洋(元巨人-オリックス‐日本ハム)だ。
新チーム以来、秋、春の県大会で木佐貫に連敗していた杉内は「最後の夏は何としても勝ちたい」と固く心に期していた。
夏は春の県大会を制した川内が本命、3年連続夏の甲子園を狙う鹿児島実が対抗。両校とも初戦から圧倒的な強さで勝ち上がり、決勝戦で激突した。
先制したのは鹿児島実。3回1死から9番・杉内が左前安打を放ち、木佐貫の暴投に乗じて三塁に進んだあと、上位打線が3連打とつながり、3点を挙げた。「抑えてやると力んでしまった」と悔やんだ木佐貫は、4回以降、140キロ台の直球に変化球を織り交ぜる本来の投球を取り戻し、スコアボードにゼロを並べる。
一方、川内打線は、杉内の内角高め直球に9三振を喫しながらも8安打を放ったが、ピンチになると、コースを丹念に突いて打たせて取る杉内の術中にはまり、あと一打が出ない。7回に連続二塁打で1点を返し、なおも無死二塁のチャンスも強攻策が裏目に出て、追加点ならず。8回無死三塁も主軸が杉内に抑えられ、そのまま3対1で鹿児島実が逃げ切った。「苦しい試合だったけど、100点満点のピッチングでした」(杉内)。
試合終了直後、杉内が握手の手を差し伸べると、木佐貫も「甲子園では僕の分まで頑張ってほしい」と力強く握り返してきた。ライバルの激励の言葉を胸に刻んだ杉内は、甲子園の1回戦、八戸工大一戦でノーヒットノーランを達成している。
両エースが評判どおりの持ち味を発揮した白熱の投手戦となり、最後は紙一重とも言うべきプレーが明暗を分けたのが、2000年の埼玉大会決勝、浦和学院・坂元弥太郎(元ヤクルト‐日本ハムなど)vs春日部共栄・中里篤史(元中日‐巨人)だ。