大阪桐蔭時代の三島輝史
大阪桐蔭時代の三島輝史
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 今夏、通算3度目の春夏連覇は逃したものの、しっかりと強さも見せた大阪桐蔭。毎年のように強力打線を売りにしているが、その一方で、歴代エースたちも、現在の校名になった初年度(1988年)のエース・今中慎二(元中日)をはじめ、プロ入りした投手が多い。

【写真】02年に大阪桐蔭で主将を務めた元メジャーリーガーといえば

 今中は大産大付東校舎時代の86年秋の大阪大会準々決勝で、翌年春夏連覇を達成したPL学園を0対1と苦しめ、一躍名をあげた。

 全12球団が注目した最後の夏は、大阪大会初戦で延長12回の末、茨木に1対2で敗れたが、15三振を奪い、高校ナンバーワン左腕の実力を証明。同年のドラフトでは、中日・星野仙一監督が、球団職員の大豊泰昭を2位指名に回して1位指名するサプライズで一本釣りに成功した。

 大阪桐蔭出身のプロ野球選手第1号は、1年目から1軍で投げ、93年に最多勝、奪三振王、沢村賞を獲得するなど、プロ野球史に大きな足跡を残した。

 今中に続いてプロ入りした投手は、91年夏の優勝メンバーの背尾伊洋だ。

 準決勝の星稜戦では、松井秀喜を4打数無安打に抑えるなど、4安打9奪三振1失点で完投勝ち。決勝の沖縄水産戦でも、7回途中からリリーフし、優勝決定の瞬間をマウンドで迎えた。

 ドラフト5位で近鉄に入団し、96年9月16日の日本ハム戦でプロ初勝利を完封で飾っている(その後、巨人でもプレー)。

 その背尾が「僕がここまで来れたのも、彼がいたお蔭」とライバル視していた背番号1・和田友貴彦も、プロ入りしなかったが、同年のセンバツの仙台育英戦でノーヒットノーランを達成するなど、今も記憶に残るエースだ。

 94年夏の大阪桐蔭は、4回戦で福留孝介(現中日)のPL学園に1対4で敗れた。このチームには、ロッテ楽天で通算28勝を挙げ、星野仙一監督から「困ったときのボブ」と重宝された左腕・川井貴志も在籍していた。PL戦で登板機会がなかった川井は、城西大で素質開花することになる。

 97年のエース・谷口悦司は、速球でぐいぐい押す左の本格派だった。

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谷口悦司はプロ入りを果たすも…