秋篠宮さまは先述の会見で、こうも述べている。「反論を出す場合には一定のきちんとした基準を設けて、それを超えたときには反論をする。何かそういう基準作りをしていく必要が私はあると思います」
「基準」がないと反論できない。これも憲法コンシャスな秋篠宮さまらしい。そういう方の率いる宮家だから、宮内庁が甘えて抗議の対象としなかったという面もあるかもしれない。その結果、メディアは「秋篠宮家については何を書いてもよし」と判断し、その空気がネット界でも支配的になっているのだろう。
ちなみに、秋篠宮家に関して宮内庁が抗議した2件はどんな内容かというと、「眞子さまがジャニーズコンサートに行ったと放送されたが、行ってない」(08年)と、「天皇陛下の生前退位に関連して秋篠宮さまがNHK記者に会ったと書いてあるが、会ってない」(16年)というもの。眞子さんの結婚へのバッシングに比べれば、ジャニーズコンサートは行っていても行っていなくてもどちらでもよいのでは? そう思ってしまうが、たぶん「行ってない」「会ってない」のような単純な誤りは抗議しやすいのだろう。それに比べ、小室さんは「眞子さまのお相手」ではあるが、「民間の人」。複雑だ。で、宮内庁は判断保留にし、ずーーっとそのままにした。そう想像している。
秋篠宮さまが考える「基準」とは、どんなものだろう。ケースバイケースすぎて、明文化するのが難しいとは誰もが思うこと。しかも「憲法コンシャス」の秋篠宮さまだ。「表現の自由」を尊重し、抗議に対し抑制的な基準を想定しそうなことは想像に難くない。
だからSNSでも宮内庁が、秋篠宮家を「誤りをただす」圏外にしてしまわないか心配なのだ。そうなると「紀子さま=人に厳しい」がデフォルトのままだし、眞子さんと小室さんはこれからもパパラッチに追いかけられ放題だろう。佳子さま、悠仁さま本人へのバッシングだって、いつ始まってもおかしくない気がしている。