撮影:大西みつぐ
撮影:大西みつぐ

■撮るのが苦しい

 ところが「被写体がどうとか、カメラがどうとか、そんなことを全部超えていってしまう事態になってしまった」。2年前、コロナ禍に直面したときの衝撃を大西さんはいまも受け止めきれない様子だった。戸惑いが伝わってきた。

「近隣に住むインド人も含めて、外国の人たちをぜんぜん見かけなくなった。日本人の家族もかなり減った。毎日のように公園を訪れても、遊びに来る人はなかった。風景から精彩が失われた」

 一方「近所の団地やマンションに住むご夫婦とか、みんな一生懸命に散歩しているわけですよ。ぼくもカメラを持って同じように歩いた」。

 撮影も兼ねて歩くので体力維持の「一石二鳥になった」と、大西さんは笑う。しかし、心は重かった。

「それまでスナップを撮ったり、セルフポートレートを写すのは楽しい行為だった。ところがコロナになってから、この見慣れた場所で撮ることが楽しいというより、むしろ苦しい。この先、どうしたらいいんだろう、と。ものすごいつまずきを感じました」

 コロナ前は、ふわっと人に近寄って声をかけた。「あの、何をしているんですか? ぼくは近所でずっと写真を撮っているんです。ちょっと1枚撮らせてください」。ところが、そういうことがまったくできなくなってしまった。

「人恋しいわけですよ。浜辺でヨガをやっているお姉さんとかに声をかけて撮りたいんだけど、やっぱり話しかけない方がいいだろう、とブレーキをかけてしまう。それが一番つらかった」

■開き直って覚えた安堵感

 そんな気持ちに変化が表れてきたのはコロナ禍になって1年が過ぎたころだった。

「何かすごいものを見つけなくても、そこにあるものをそのまま撮ればいいか、っていう気持ちになってきた。以前はそういうことはなかったんですけどね」

 ある日、公園の遊歩道を自転車でゆっくり走っていたら、小さなカメがうずくまっていた。

「カメを手にしたら、頭を出してきて、面白いな、と思った。自分もカメや虫とまったくいっしょに、同じ場所で生きているんだな、という感覚を覚えた。たぶん、コロナ禍で1人になった誰もがそういう体験をいろんなところでしたと思うんです」。大西さんはしみじみと語った。

 葛西臨海公園に作られた人工の浜辺や池はいつの間にか自然の環境になっていた。改めてそれを肯定的に感じると「写真家であるがゆえにもう一度、しっかりと見えるものが出てきた」。

 ここは孤島なんて閉じた場所ではなく、ただの島である。そんな開き直った気持ちになると、少し安堵感を覚えた。光に照らされた風景が初々しく見えてきた。

 むろん、撮影のチャンスが少ないことに変わりはない。作品づくりは「非常に苦しかった」。

 写真からは大西さんの気持ちの浮き沈みが伝わってくる。ちょっと気の抜けた湾岸風景が大西さんのワンダーランドだったころの作品との明暗が印象的だ。

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】大西みつぐ写真展「島から NEWCOAST 2020-2022」
エプサイトギャラリー 9月17日~10月26日