※写真はイメージです。本文とは関係ありません
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 でも、死ななかったことはすごい安心して、でも、目も覚まさなかったので、『変な期待を抱かせるようなことを、盛り上げるために言ったな』とか、ちょっと盛った話を盛ったっていうか。『こういうことは駄目なんじゃないか』とか思ったりして。

――30年近く前に見た夢を明瞭に覚えているということが、すでに特別である。麻衣さんは見舞いの際にかつての兄の元気な姿を意識から消したのだが、夢のなかで釣りやバスケットボールへの意欲を持った元気な兄が回帰する。ここでも兄の意志というテーマが見え隠れする。引用全体は悲観的なのだが、夢のなかで兄の欲望を聞き届けるということには何かポジティブな要素がある。

 兄の元気だった頃の欲望として麻衣さんは夢を見ている。ところが病室へ見舞う段階では、親が作った世界に合うように、麻衣さんは「俺は治るから」と話を「盛った」。大人たちの「カツヤは生きようとしてる」という幻想・欲望へとすり合わせた。

 最後にバスケットボールを持っていくときに、死を恐れたのはなぜだろうか。話を盛ったことで兄の願いを裏切ったからだろうか。親に合わせることは兄の本心を尊重することにはならない。夢と話を盛ったことのずれが生んだ罪悪感にかすかに、親の意思とは別の麻衣さんの主体性あるいは麻衣さんと兄とのあいだの生きた関係が窺(うかが)える(注)。

 ヤングケアラーであった麻衣さんは、家族への気づかいのなかで孤立し、そのことに両親は気づかなかった。

<脚注>
フロイト『夢解釈』のろうそくの夢が思い出される。父親が、病で死んだ息子の遺体の隣室で仮眠をしているときに見た夢だ。居眠りをした父は夢のなかで「ねえお父さん、見えないの、僕が燃えているのが?」と息子に呼ばれる(『フロイト全集5 夢解釈II』新宮一成訳、岩波書店、2011、290頁)。目を覚ますとろうそくの火が経帷子(きょうかたびら)に燃えうつっているのだった。夢のトリガーは炎であり、夢で成就された父親の欲望はフロイトが解釈するように少しでも長く子どもが生きていてほしいという願いなのかもしれないが、その背景にある真の夢の原因は、父親が抱えている現実すなわち受け入れがたい死である(ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念 上巻』ジャック=アラン・ミレール編、小出浩之ほか訳、岩波文庫、2020、78-82頁)。麻衣さんの場合、兄の夢が何度も反復される。夢で繰り返される元気な兄の姿の背後には、その夢を引き起こす兄の生をめぐるあいまいな状況(麻衣さんにとっては外傷的な「怖い」姿)という言語化が難しい現実が横たわる。

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