放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、プロレスラー以外でのアントニオ猪木さんのすごさについて。
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アントニオ猪木さんが天国に旅立ちました。先日の、テレビ朝日の新日本プロレスリングは急遽内容を差し替えて、「アントニオ猪木 追悼SP」を放送していました。
小学2年生の時からプロレスに魅了され、今に至るまで、自分の人生が“猪木色”に染められていたことに気づき、涙しました。番組もとんでもなく愛があり素晴らしかった。
猪木さんはプロレスラーとしても大好きです。が、やはり、そのプロデュース能力にはとんでもない才能があり、人がやらないことをして、ピンチをチャンスに変えていきました。最高の起業家だなと思ってます。
猪木さんのプロデュース?と言ってはいけないのかもしれませんが、僕が大好きなのは、外国人レスラーで「インドの狂虎」と呼ばれたタイガー・ジェット・シンのエピソード。プロレスファンなら当然知っている話ですが、周りに話すと意外と知らないので、僕の推測も含めてお伝えしましょう。
1973年。設立してまだ間もないころの新日本プロレスは、外国人レスラーの招へいに苦戦していました。全日本プロレスには人気外国人レスラーがどんどん来るが、新日には来ない。おそらくそのルートも閉ざされていたのかもしれない。
猪木さんはそこで考えたんですね。呼べないなら人気者を作ればいいと! そこでタイガー・ジェット・シンです。日本では無名です。どうやったら有名になるか? 猪木さんは考えたのでしょう。
1973年5月4日。川崎市立体育館で、無名のタイガー・ジェット・シンは、観客席からいきなり乱入し、試合中の山本小鉄選手を襲いました。その一回で、「なんだ、あいつは? いきなり選手を襲うなんてなんて、デンジャーな奴なんだ」と注目を浴びます。つまり、これが売り出し。