クライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージを前にした10月10日。神宮外苑に誕生した新たな“名所”がお披露目された。その名も「つば九郎ハウ巣」。セ・リーグを連覇したヤクルトのマスコット、つば九郎の家(ハウス)であり、巣である。
これは村上宗隆が日本選手歴代最多のシーズン56本塁打を放った際、「3億円の東京の家」の贈呈を決めた「オープンハウス」が、総工費約3000万円をかけてプレゼントしたもの。今年8月につば九郎がホーム通算2000試合出場を達成したお祝いだというが、村上はともかくマスコットに家を贈るというのは前代未聞。それも12球団きっての人気マスコットのつば九郎だからこそ、と言えるだろう。
そのつば九郎が誕生したのは、今をさかのぼること28年、1994年のことである。公式戦初出場は4月9日に神宮球場でおこなわれた阪神との開幕戦。現在では考えられないが、デビュー当時のつば九郎は実に影が薄かった。それは燕にもかかわらず、当時はまだ猫を被っていたからだ。
転機となったのは、アレックス・ラミレスとのパフォーマンスだった。2001年に来日したラミレスはそのバットのみならず、故・志村けんの「アイーン」を取り入れたパフォーマンスでも人気を集めていたのだが、のちに「アイーン」とダンディ坂野の「ゲッツ」を組み合わせ、つば九郎とのコンビ芸を披露するようになる。
ホームランを打ってベンチに戻ったラミレスと共に、カメラの前でアイーン!ゲッツ!!とポーズを決め、ダンディ坂野ばりにフレームアウトしていくユーモラスな姿で注目されるようになったつば九郎は、しだいに“本性”を現していく。「るーびー」(ビール)好きで「よるのぱとろーる」(飲み歩き)が趣味という、マスコットにはあるまじき(?)自由奔放なキャラを前面に出し、見た目も初期のシャープな体型からゆるキャラ然とした姿に変わるにつれ、人気もどんどん上昇していった。