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「夜のパン屋さん」の販売者さんたちは、折しもロスジェネと呼ばれる世代の人たちでした。パンも人も同じじゃないか、となんだか悔しくなりました。人間の都合、経済や社会の都合で、正規かロスかが決まる、必要か必要じゃないかが決められる。残ってしまったらロスとして廃棄だなんて、そんなのどう考えたってやっぱりおかしい。

 豊かに、たっぷり、安くたくさんあるのがよいこと。常に新しい、一番上等のものを買えるのが、今どきの豊かさ。そんな価値観では、未来の人が受け継ぐべきものを先に食べ散らかしてしまうことになるんじゃないかと思えてきました。

 そういえば、「一番搾り」や「一番だし」という言葉を最初に聞いたころ、じゃあ二番はどうなるんだろう、と考えたことを思い出しました。

 一番の意味は少し違いますが、私たち、いつの間にか一番を競ってスーパーマーケットの棚に並ぶ、美しく並べられてラップでピシッと包まれた食べ物に慣れてしまったのかもしれないです。畑に行けば、大きいのや小さいの、曲がったのやいびつなの、虫喰いのあるのや傷のあるのだっておおらかに一緒に陽を浴びています。綺麗に形の揃ったものを並べるのは、箱の都合、スーパーの棚の都合、値段を決める都合だったりするんですね。

「訳あり」のその「訳」が、自然とともに生きる循環のためではなくて、利益のための「訳」になってしまった。

 美しいやおいしいや儲かるを競争するところから、そろそろ降りたいなあと思うようになりました。競った先にあるのは、勝者と敗者だったり、1%と99%の区分けだったりするのかもしれません。

■「効率の良さ」の前に「いい循環」を

 またまた少し話は飛びます。

 油のことを思い出しました。普段使いとしてどんな油を使うかを考えていたときに、いろいろな経緯から商品としてドレッシングを作ることになり、油選びにさらに力が入りました。原料が遺伝子組み換えでないもの、ドレッシング全体の味に馴染むもの、価格が折り合えるもの、などで探しました。

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「おっかねえ油つくるんでねえよ。自分らで食べたくないもん、つくるんでねえよ」