■「笑わないこと」の神話的意味
昔話には登場人物が「笑う・笑わない」ことで、その人物が「生者」なのか「死者」なのか判断したというエピソードが数多く存在する。昔話において、あらゆる“異界の存在(死者、魔物、怪物など)”は、人間のようには笑わないのだ。
そのため、生きた人間が黄泉の国に迷い込んだ時、あるいは魔物が潜む領域に入りこんでしまった時、「笑わない」ことで、死者・魔物から発見されずに済むというエピソードが成立する。つまり、「心の底から笑うこと」は、「生きた人間」の証なのだ。
この「笑わない」ことが示すタブーは、言葉を発することを禁じられる「言うなの禁」、振り返ってはいけない「見るなの禁」とも共通性があり、「生と死」を分かつモティーフとして、あらゆる地域の昔話の中で使用されている。
■禰豆子は「仮死」の状態?
こういった昔話、神話的な物語の解釈から考えると、鬼化の間、禰豆子の「表情(笑顔)」と「言葉」が封印されているのは、彼女の「生」そのものが失われかけていることを示していると考えられるだろう。言葉・表情・記憶・感情の一部が封印されている鬼化の状態は、人間・竈門禰豆子にとって「仮死」あるいは「偽死」に近い状態をあらわしていると解釈できる。
さらに、プロップは「笑わない王女」の話型の解説の中で、「笑顔」を取り戻すことが「よみがえり」をあらわすこと、それと関連して、「乙女のほほ笑み」が花の開花=春をあらわすのだという事例を紹介している。
思い出してほしい。『鬼滅の刃』の物語は、寒い冬、深い雪の中で起きた竈門家惨殺のエピソードから始まった。そして、この物語の最終巻では、降り積もったあの雪は解け、桜の舞う場面が描かれるのだ。
■禰豆子が「笑顔」を取り戻すために
「無限列車編」、「遊郭編」、そして「刀鍛冶の里編」以降、炭治郎と禰豆子には「憎しみ」をどのように制御するのかが、重要な問題として突きつけられる。鬼になってしまった禰豆子を人間に戻すためには、彼女の「笑顔」を取り戻す必要がある。