写真:著者提供
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 さらに、こうした「気持ち」の部分に、優雅に“見える”行動を少しずつ“上乗せ”していきます。例えば、大人なら誰かとドアで鉢合わせになったら、常に「お先にどうぞ」ができる。ご近所さんとバッタリ会ったらさわやかなあいさつができる。誰かが失礼な振る舞いをしようと、自分の機嫌は左右されない。

 まずはあくまでも「フリでいいから」と自分に言い聞かせること。心の中で「けど、本心じゃないし!」と後ろめたく思っても、そこはあえて考えないようにします。人が目にして判断するのは、あくまでも私たちの実際の「行動」ですしね。

■「フリ」が「フリ」でなくなるとき

 実際にやってみたものの、ふと冷静になると、結局“フリ”はフリでしかない、自分を偽っている気がする、恥ずかしくて無理……などと否定的な思いが頭をよぎるかもしれません。

 ただ考えてみれば、私たちは、意識的、無意識的に、相手や状況によって、違う顔を持っています。職場、取引先、行きつけのお店、趣味のサークルでの自分、親友、ご近所さん、パートナー、子ども、親、上司、部下、同期の前での自分……。だったら、優雅な大人のフリであったとしても、それもそれで自分とする。そうすることで、自分自身もまわりの人も気持ちよく過ごせるなら、それだけでもやってみる価値は十二分にあります。

「自分を変えよう!」などと勢い込んだり、あれこれ考えすぎるとしんどくなります。真面目に考えすぎて「けど、本心じゃないし!」と自分の中で葛藤しても、ブレーキとアクセルを同時に踏むようなどこにもたどりつかない疲労感が残るだけ。

「フリ」と言わずに、ひとつの「型」を実践する、と呼び替えてもよいかもしれません。続けていれば、次第と習慣になって、「フリ」ではなくなってきます。

 自分の性に合わないものは、「ここまでは無理、できなかった」と自然に淘汰されていくので大丈夫。自分に合うものだけが残り、次第に馴染んできます。

 英語で大好きなフレーズのひとつに、“Fake it till you make it.”(うまくいくまで、うまくいっているフリをしよう)という言葉があります。

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例えば仕事の面接前で緊張しているとき…