ヤンキース時代のレジー・ジャクソン(写真:アフロ)

ヤンキース時代のレジー・ジャクソン

 ヤンキース時代のレジー・ジャクソンを1年間レンタルという驚くべき条件で入団させようとしたのが、79年オフの日本ハムだ。
 

 同年の日本ハムはボビー・ミッチェル、サム・ユーイングの両助っ人が2人合わせて37本塁打にとどまり、「他チームとは外国人が違い過ぎる」と大沢啓二監督を嘆かせていた。

「2人で70本打てる助っ人が欲しい」の現場要請を受けた大社義規オーナーは、10月10日に渡米し、提携先のヤンキースに新外国人の斡旋協力を依頼した。本命は、なんと、主砲・ジャクソンだった。

 当時のジャクソンは2年連続30本塁打に届かず、放出の噂も流れていた。日本ハム側は、日米協約などの障害をクリアするために、「借用という解釈が成り立てば、来日も可能」と超法規的解釈を用いようとしたが、結局、レンタルの話はまとまらず、断念する羽目になった。
 

 しかし、話はこれだけでは終わらなかった。11月下旬、今度は通算938盗塁の“世界の盗塁王”(83年に阪急・福本豊が更新)ルー・ブロックの代理人が来日し、「ぜひ日本ハムで使ってほしい」と売り込んできたのだ。

 盗塁記録や通算3000安打など、メジャーでの目的をすべて達成した40歳のブロックは、「残る野球人生を日本で送りたい」と希望しているのだという。

 代理人はすでに入団会見場として都内のホテルを予約するほど大乗り気だったが、契約金、年俸、滞在費など計100万ドル(約2億5000万円)という条件を聞いて、球団側が「ちょっと待った」と難色を示す。同年、カージナルスでプレーしたブロックは、年俸20万ドルだったので、5倍も吹っかけられたことになる。

 当然のように交渉は破談となり、ブロックも現役引退を発表した。
 

日本でのプレーを希望したサミー・ソーサ

 売り込みといえば、カブス時代の98年に66本塁打を記録したサミー・ソーサも、06年のシーズン中に、根強い人気のある日本でのプレーを希望して“営業”を行っている。
 

 前年オリオールズをFAになったソーサは、通算600本塁打まであと12本に迫りながら、37歳という年齢や薬物疑惑の過去などが災いし、どの球団からもオファーがなかった。06年のシーズン開幕後、ナショナルズの年俸50万ドル(約6000万円)のオファーも断り、事実上引退状態になっていた。

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