北条政子。画像はイメージ(PIXTA)
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 2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の重要人物であった北条政子や、豊臣秀吉の妻・おね、室町期の日野富子など、日本の歴史を動かした魅力的な女性を題材に、数々の傑作歴史小説を描いてきた永井路子さん。古代から幕末まで、日本史上で知られた女性33人の激動の生涯と知られざる素顔とは? 朝日文庫『歴史をさわがせた女たち 日本篇』から一部を抜粋・再編集して公開します。

 やきもちは女性の最大の悪徳だといった男性がいる。とすれば、ここにご紹介する北条政子は、日本一ともいうべき壮大なやきもちによって、日本の悪女ナンバーワンということになるわけである。

 政子は、いわずと知れた鎌倉幕府の創立者、源頼朝夫人である。いわば鎌倉時代のトップレディーのひとりだが、彼女の生まれたのは十二世紀の半ば、父時政は伊豆半島の小土豪にすぎず、おそらく彼女も、土のにおいのする自然児の坂東女として生いそだったにちがいない。そして一方、そのころの頼朝といえば、一介の流人――源平の合戦に敗れた戦争犯罪人のひとりでしかなかった。

 この二人の結びつきを頼朝が北条氏を利用しようとしたのだとか、いや北条氏が頼朝をかついで天下をねらったのだとか言うのは、後の結果から見てのことであって、二人の結婚したのはまだ平家全盛時代で、風向きの変わりそうな気配の全くないころだった。

 多少年はとりすぎているが、頼朝はなかなかの美男子だった。それに何といっても、平治の乱で平家に負けるまでは都でくらしているから、このあたりの土豪のむすこにくらべれば、あかぬけがしている。そのうえ敗れたりとはいえ彼は源氏の棟梁の嫡男という毛ナミのよさなのだ。

 毛ナミがよくて、美男で、スマートで……いつの世にも女はこうしたものに夢中になる。そして、いつの世にも、そうした娘に親は腹をたてるものらしい。

「あいつは戦争犯罪人のスカンピンだ。平家の世が続くかぎり出世のみこみはないぞ。それよりも、もっと地位もあり財産もある男でなくちゃあ、おれは許さん」

 ところが親が反対すれば反対するほど恋心はもえあがるものらしく、政子は家をとびだし、頼朝のもとへ走ってしまう。伝説では、時政が地位も財産もある平家の代官、山木兼隆にとつがせようとした婚礼のその夜、雨をついてぬけだしたので、時政も仕方なく二人の仲をみとめたといわれるが、これは史実としては誤りである。

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