混乱の末、頼家も命を失ってしまった後、政子は突然、激しい後悔におそわれる。
――私はとんだことをしてしまった!
せめてもの罪ほろぼしに、頼家ののこしていった男の子をひきとり、それこそ、なめるようにかわいがりはじめる。父の菩提をとむらうために仏門に入れ、都で修行させるのだが、それもかわいそうになって、手もとにひきとり、鶴岡八幡宮の別当(長官)とする。
が、この孫は祖母の心のいたみなどはわかっていない。父にかわって将軍になった叔父の実朝こそ親の仇と思いこみ、とうとう彼を殺してしまう。この少年が、れいの別当公暁なのである。
母と子、そして叔父と甥。源家三代の血みどろな家庭悲劇は、歴史上あまりにも有名だが、政子の抑制のきかない愛情過多もその一因になっている。もちろんこのほかに幕府内部の勢力争いもからんではいるが、なんといっても政子の責任は大きい。
彼女は決して冷たい女ではない。いや、相手を独占し、ホネまで愛さずにはいられない女なのだ。
ところが、本当にお気の毒なことに彼女のゲキレツな愛情は歴史の中で見過ごされて来た。いや、むしろ愛などとは無縁な冷たい権力欲の権化、政治好きの尼将軍と見なされて来た。これだけは彼女にかわって、是非ともここで異議申し立てをしなければならない。
彼女は決して、そんな冷たい人間でもなければ、政界の手腕家でもない。こころみに、彼女の政治的業績を再検討していただきたい。何一つないではないか。のちに承久の変が起こったとき、たしかに彼女は将兵を励ますための大演説をやってのけている。が、これにはちゃんと演出家がついていて、彼女はその指示のままに「施政方針演説」を朗読したにすぎない。しかもその演出家たるや、首相の下にいて草稿を書く下僚ではなく、稀代の政治家である北条義時――彼女の弟だった。
つまり彼女はこの義時のロボットなのだ。現代の政治家が束になってもかなわないくらいの大物政治家の義時は、絶対に表面には出ずに、表向きのことは政子に――それも「北条氏の政子」ではなく「頼朝未亡人としての政子」にやらせている。しかも頼朝の血筋に連なる幼い藤原頼経を将軍に据え、政子には、その代行という形をとらせるのである。女性の一人として、先輩に大政治家がいた、と主張したいのは山々なのだが、こうした実態を見ると、どうも彼女を買被ることはできない。
となると、彼女の真骨頂は、庶民の女らしい激しい愛憎の感情を歴史の中に残したところにあるといえそうだ。いかにも庶民のオカミさんらしく、愛しすぎたりやきもちを焼いたり、息子や孫に口を出して、とんでもない事件を巻き起こしたり……。つまり徹底的に庶民的な、愛情過多症に悩まされつづけたオバサマなのである。