丸山:なるほど。『「ヤングケアラー」とは誰か』でとても興味深かったのは、内容はもちろん、語り方もそうでした。それぞれの語り手のちょっとした言い回しだったり、繰り返される言葉だったりにとても注目されて、そこにどんな思いが込められているのかを分析されていました。ああいう手法は初めて見ました。
<『「ヤングケアラー」とは誰か』は7人のヤングケアラー経験者へのインタビューを収録。長期脳死の兄や障害のある母親、過量服薬で救急搬送を繰り返す母親など、さまざまな背景を持った家族のケアがつづられている>
村上:そこは僕にとってもすごく大事なところで、人の語りには、本人が考えているストーリー以上のことが必ず語られているのです。それは、細かい言い回しの中や口癖の使い方に出てきます。そこを読み解いていって、言葉のネットワークを再構成していくと、その方がどういう形をした世界を生きているのかが分かるのです。
丸山:非常に面白いですね。
村上:例えば第2章、覚醒剤依存の母親をケアしたAさんの場合だと、「でも」という言葉がたくさん出てくる箇所と、それが消える場面があります。「知っている。でも誤魔化されている」「知っている。でも分からない」という、気づきの曖昧さを巡って、「でも」がたくさん出てきます。それは母親が逮捕される前の場面だけなのです。逮捕された後は全部明らかになっているので、「でも」を使う必要はなくなりますし、「全部知っていた」と語られます。Aさん自身は意識していないと思いますが、没頭して語っていると、ディテールの中に言葉遣いの変化が生じます。その変化は世界がそのつどどのように現れているのかの変化を表しています。
丸山:私は『デフ・ヴォイス』シリーズでろう者のことを書いていますが、声が届きにくい少数者の考えや意見を届けたい、といった意識を持っています。ただ代弁者的な、誰かの代わりに何かをスピークするといった形は、できれば避けたい。「当事者性」がとても大事だと思っていて、本当は当事者が語るべきだし、語ってほしい。語る場が与えられるべきだと考えています。実際には、その当事者の大事な問題を扱う場に、当事者本人が存在しないということがすごく多いのではないでしょうか。