第99回目を迎える箱根駅伝(1月2、3日)は、駒沢大、青山学院大の2強を中心に、実力伯仲の各校による優勝争いが予想されるが、過去の大会では、優勝候補と目されたチームがまさかの失速を演じる大波乱も何度かあった。
前年の優勝校がシード落ちする大番狂わせが起きたのが、2009年の第85回大会だ。
前年の覇者・駒大は、エース・宇賀地強をはじめ、高林祐介、深津卓也らVメンバー5人が残り、11月の全日本大学駅伝で3連覇を達成するなど、箱根も連覇が期待されていた。
ところが、9区を予定していた準エース・深津が11月下旬に座骨神経痛を発症し、出場できなくなったことが、チーム全体に影響を及ぼす。
深津不在のチームの底上げが思うようにいかなかった大八木弘明監督は「優勝するには往路を我慢するしかない」と復路重視のオーダーを組んだ。
だが、1区でいきなり19位と出遅れ、3、4区の連続ブレーキもあり、往路はまさかの15位に沈む。「予選会はやりたくない」と目標を優勝からシード権確保に切り替えた復路も、Vメンバー3人を投入しながら、ほとんど競り合いがないまま、下位を単独で走るという不慣れなレース展開で持てる力を発揮できず、総合13位でシード入りを逃した。
前年優勝校がシード落ちするのは、途中棄権を除くと史上初。大八木監督は「惨敗です。後ろを走ると、ヤジがきついね(笑)。来年は予選会も入って日程がきつくなる。明日から練習します」と雪辱を誓った。
翌10年、予選会をトップで通過した駒大は、チーム一丸となって復路を制し、総合2位と復活を遂げた。
“6強”に挙げられた優勝候補すべてが脱落する大波乱が起きたのが、06年の第82回大会だ。
同年は前年の往路を制した東海大が優勝候補筆頭に挙げられ、4連覇中の駒大、全日本大学駅伝を制した日本大、さらには伝統校の中央大、日本体育大、順天堂大が僅差で続くという“史上最大の戦国駅伝”だった。