ちなみに、「テレビテニス」のようにカセット内蔵式のテレビゲーム機を第1世代、カセットビジョンのようにソフトが交換できるようになった、ファミコン以前のテレビゲーム機を第2世代と分類する見方もある。この第2世代のゲーム機はアメリカ産のものが多く、1977年に登場した米アタリ社の「Atari 2600」が世界のゲーム市場を当時席巻していた。最終的にアメリカ国内で約2354万台、全世界で約3000万台売り上げたゲーム機として知られる。Atari 2600はソフトだけでなくコントローラーも着脱可能で、ゲームに応じて変えられたのが画期的だった。
Atari 2600は日本では高価な輸入販売のみだったが、1983年5月10日、日本向け機種の「Atari 2800」がいよいよ登場。“黒船”が日本にも襲来したのだった。
ファミコン全世界で6000万台
Atari 2800の日本発売から2カ月後の1983年7月15日、こうした世界情勢下で国内だけでなく世界の市場を獲得したあのゲーム機が産声をあげる。ファミコンだ。
ファミコンはこれまでのゲーム機を徹底的に研究して開発されたハードで、いいとこ取りをしているゲーム機ともいえる。まず、カセットによってソフトは交換可能で、当時としては高性能だった8ビットCPUも本体に内蔵されており、他の家庭用ゲーム機を圧倒する高度な処理をすることができた。2つの手に持てるコントローラーに加え、拡張可能なコントローラー端子も1つ内蔵されていた。
特に画期的だったのが、「十字キー」だ。それまで家庭用ゲーム機はアーケードゲームからの移植も少なくなく、アーケードゲームでの移動操作はジョイスティックによるものが多かった。これは現在でも変わっていない。そのため、他の当時の家庭用ゲーム機でもジョイスティックを搭載したコントローラーはあったが、それを十字の形に上手く簡素化したものはそれまでなかったのだった。