今となっては物足りなさ感を覚えるかもしれないが、当時は初のテレビゲームとのことで話題になり、約1万台を売り上げたという。今のゲーム機の感覚からするとこれも少ないと思うかもしれないが、純粋な「おもちゃ」としての1万台と考えれば、当時はヒット商品として考えられていた。
遅れること2年後の1977年。任天堂初のテレビゲーム機が登場する。名前は「カラーテレビゲーム」。これも「テレビテニス」同様、ソフトは内蔵されていたものの、ファミコンのようにコントローラーを手に持って操作できる点で画期的だった。また、ゲーム画面も名前のとおりカラーになった。ただし、十字キーやボタンというものはなく、ダイヤルが一つついただけのものだ。見た目は本体部分が赤で、コントローラー部分が黒。後に1995年に任天堂から発売されるゲーム機「バーチャルボーイ」を思い起こさせる色使いをしていた。
「カラーテレビゲーム」は1万5000円する「カラーテレビゲーム15」と9800円の廉価版の「カラーテレビゲーム6」の2種類あり、数字は遊べるゲームの種類を表していた。ゲームの種類は「テニス」や「バレーボール」、「ホッケー」などで、それぞれシングルスとダブルスが選択できた。いずれも「ポン」に障害物を足すなどしてアレンジを加えたものだ。実際にある球技をベースにテレビゲーム化しているあたりも、世相が感じられる。複数のソフトが遊べる点で画期的であり、値段の安さから「15」は約90万台、「6」は約50万台の計140万台を売り上げる大ヒットとなった。
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ファミコンのようにカセットを交換して、様々なゲームを遊べるようにしたのが、1981年にエポック社から発売された「カセットビジョン」だ。コントローラーは本体に内蔵されているものの、ダイヤル1個だけではなく、レバーやボタンなども追加された。約45万台売り上げた。価格はACアダプタ別売りのものが、1万2000円だった。ソフトも「ポン」だけでなく、ベースボールやインベーダーゲームやパズルゲームなど、高度な操作性を要求するものが登場した。一方で、ゲーム機本体にCPUがなく、カセット側に搭載されていた。カセットビジョンは約45万台を売り上げるヒット商品となった。