写真はイメージ(GettyImages)
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 夫婦同姓しか選べないのは、実は世界で日本だけ。実生活で不便や不利益を感じている人がこれだけいるのに、なぜ議論が進まないのか。現代にも無意識のうちに脈々と受け継がれる、日本特有の“家”意識や“日本人”意識にはルーツがあり――。

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「夫婦の同氏制を採用している国は、我が国以外には承知しておりません」

 2020年の参議院予算委員会で、上川陽子法相(当時)はこう答弁した。「結婚した夫婦は、どちらの姓を名乗るか選ばなければいけない」という日本の制度は、実は世界的にも他に類を見ない。

 上川元法相が言及した10年の法務省の調査によると、同姓か別姓かを選べる例として挙げられたのがアメリカやイギリス、ロシア、ドイツなど。フランスや韓国、中国などは「原則別姓」だ。イタリアやトルコは、結婚相手の姓と自身の姓を組み合わせる「結合姓」をとっている。

「“夫婦同姓でなければならない”とする日本の制度は、明治31(1898)年にできた家制度が発端です」

 こう話すのは、『結婚の法律学』(有斐閣)などの著書で知られる早稲田大学の棚村政行教授(法学部)。日本人の名字のほとんどは明治時代につくられたもので、明治時代の家制度によって、家ごとに「家名」として名字を名乗ることが強制された。

 家制度の政治的な目的の一つには、「天皇は“国の家長”である」という天皇制国家体制を支えることがあった。家長である戸主と家族の関係を、天皇と国民との関係になぞらえ、親孝行などを説く教育勅語を通じて、国民の中に浸透していく。また明治民法では、妻が働くには夫の許可が必要で、妻が働いて得た財産や実家からの持参財産などは夫に管理されていた。こうしたなかで、国民に家父長制的な意識も浸透することになる。

「戦後の民法改正によって、家制度が廃止されたのは周知の通り。それにもかかわらず、現代においても“家”という意識はまだまだ残っている。夫婦同姓にこだわる人の意見を聞いていると、前時代的な家制度の精神が、今も脈々と受け継がれてしまっていることを感じざるを得ません」(棚村教授)

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「夫の姓を名乗るのが当たり前」という流れ