■関西とは全然違う… 神戸出身のラーメン店主が受けた衝撃
JR京浜東北線・北浦和駅の西口から徒歩3分。線路沿いを歩いていくと一軒のオシャレなラーメン店がある。「柳麺 呉田-goden-」である。「ざるチャーシュー」や「黒舞茸と近江黒鶏の昆布水つけ麺」など極上の自家製麺を生かした一杯でファンを魅了する。
店主の中野憲さんは神戸市出身。高校2年生で老舗の名店「もっこす」でアルバイトを始めたのがラーメンにハマったきっかけだ。「もっこす」は1977年創業の神戸のソウルフードとも言われる有名店だ。
中野さんは高校卒業とともに「もっこす」に正式に入社した。ホールから始まり、盛り付け、ラーメン作り、スープ工場までの仕込みまで経験した。
「修業して、最後はのれん分けして独立したいなと考えて『もっこす』に入社しました。忙しい店だったのでお店を回すのが本当に楽しかったんです。ラーメン作りも楽しく、お客さんから『おいしかった』と言われた時の快感からラーメン屋を一生の仕事にしようと思いました」(中野さん)
それまで関西のラーメンしか食べたことがなかった中野さん。「東京のラーメンなんてうまくない」とうわさで聞いていたので少しばかにしていたが、東京に遊びに行った時にラーメンを食べ、そのおいしさに衝撃を受けた。ふと厨房(ちゅうぼう)を見ると、関西とは全然違う作り方をしていて、レベルの高さを感じたという。
「ここからモヤモヤが始まりました。今のままでいいのかなと。『もっこす』で独立しても大将のことは超えられない。東京に行って飛躍して自分のラーメンを作ることで大将を超えられるんじゃないかと思い、次なるチャレンジをすることにしたんです」(中野さん)
中野さんは東京で勝負しようと、寮のあるラーメン店で働きながら、原付きでラーメン本を持って食べ歩きを始めた。2年ほどたった頃、護国寺にあった「ちゃぶ屋」でまたしても衝撃を受けた。
オシャレな店の作りや今まで食べたことない味わいの一杯に深く感動し、「従業員募集」の貼り紙を見て応募することにした。こうして、中野さんは「ちゃぶ屋」に入社することになった。26歳だった。
「『ちゃぶ屋』での修業は厳しかったですが、それよりも楽しかったという思い出の方が強いです。ここでの経験が今の私のラーメン作りの基礎になっています。店主の森住さんは食材を大切にすること、お客さんを喜ばせることばかりを考えてお店を運営していました」(中野さん)