都市工学者の小野悠さん
都市工学者の小野悠さん
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 都市工学者の小野悠さん(39)は、東大に合格したあと勉強する気力がわかず、休学してバックパックで旅に出た。アジアから中東、アフリカへ。そして西アフリカのベナンという国での体験をきっかけに大学に戻った。3年生になったのは入学6年目。それからも波瀾万丈は続いたという。どのようにして研究者になり、これから何を目指すのだろう。(聞き手・構成/科学ジャーナリスト・高橋真理子)

【写真】何ともいい表情。博士課程在学中に子どもを連れて大学に

【前編:東大卒業まで7年、今はシングルマザー ラフなTシャツ姿の女性都市工学者39歳の紆余曲折人生】から続く

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――ベナンでどんなことがあったのですか?

 食堂を経営しているお店の空き部屋を借りて1カ月くらい住んでいたんですけど、そこにいろんな国から若者たちが出稼ぎにきていた。日中ヒマなので、マンゴーの木の下でしゃべっていて、といっても言葉はあんまり通じないんですけど。そうしたら目の見えない方が付き添われて毎日同じ時間にやって来て、お金をくださいって言う。

 私は、開発経済の勉強も少ししていて、お金をあげるのは根本的な解決にならないと思って、断っていた。ところが出稼ぎで働いている子たちがお金をあげるんですよ。ムスリムなので、そういう文化がありますけど、自分のお昼ご飯を抜いてお金を渡す。貰った人は「ありがとう」って言って100メートルくらい先にある屋台でスープを1杯買って、それを飲んで帰っていく。毎日見ているうちに、私は何をやっているんだろうという気持ちになった。

 現場で自分の目で見て、自分で判断できるようになりたい、とか、生活している人の目線でモノを見られるようになりたいという気持ちが強くて、自分が恵まれた立場にあることを少し卑下してきた。それが、そのときフッと落ちた。できることをやればいいとスッと思えた。これはうだうだやっている場合じゃない、と、大学に戻ろうと思ったんです。

――都市工学を選んだ理由は?

 最初は文化人類学とか、都市社会学も考えたんですけど、机の上で何かするんじゃなくて、自分が動いて何かものごとを動かしたい。それなら工学かな、と思って工学部都市工学科を選びました。

――大学に入って何年目?

 進学したのは6年目ですね。国際都市計画・地域計画研究室というのがあったので、そこの先生に「アフリカの都市の研究をやりたいんですけど、できますか?」って言ったら、「お~、いいよいいよ」って。実はアフリカの都市の研究をする人は日本にほとんどいなくて、一方で東大には大型予算がついていて、1カ月ぐらいアフリカに行かせてもらって卒論を書きました。

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