それからずっとアフリカですね。夏休みに南米に行ったりしましたけど、修士論文はアフリカの中でも安全な国といわれていたザンビアに行って書き、博士論文はケニアの首都ナイロビのスラムに半年住んで書きました。
実はナイロビには夫を、あ、元夫ですけど(注:前編でシングルマザーと明かしている)、を呼んで、彼はカメラマンなのでスタジオを開いたら、結構仕事がありました。日本に帰ってしばらくしたら妊娠がわかって、出産予定が5月だったので、4月から6月まで休学して、7月から息子を大学の保育園に入れて復学しました。
――いつ結婚したのですか?
結婚のきっかけは東日本大震災ですね。修士1年の3月に地震が起きて、結婚しようか、みたいになった。最初に知り合ったのは、実は高校生のときのトルコ旅行です。
――えーっ!
元旦那は、あのころ世界を長らく旅していた。トルコで出会って、住所交換してしばらく年賀状をやりとりしていたら、10年ぐらいして東京の代々木公園でみんなで花見をするからと誘われて。私は学部4年生で、このころになると私もちょっと落ち着いていて、意を決して行ったんです。
――年齢は?
6つ上です。再会したときはプロのフリーカメラマンになっていた。付き合い始めたら、翌年3月に地震が起きて、11月に婚姻届を出した。その翌年にバリ島でビラを借りて、うちの家族と向こうの親戚が1週間ぐらい滞在して、結婚式をしました。
――彼のどこに惹かれたんですか?
食べる、飲むの趣味が合ったんですね。飲むのが楽しくて結婚した感じです。ところが、博士論文も最終局面というころ、元旦那のまわりでトラブルが発生して、私や息子も巻き込まれ、大学にも迷惑をかけ、ということがあって。次から次に驚くようなことが起きて、結局、2016年4月に愛媛大学に行ってから離婚しました。
――それは大変でしたね。なぜ愛媛に?
都内で保育園がなかったんですよ。もう地方に出るしかない、できれば大学に保育園があるところがいいなって思っていたときに、愛媛大の公募があった。身近に愛媛大出身の先生がいたので、相談してみたら、松山アーバンデザインセンターという公・民・学が連携して都市計画とかまちづくりをするところがあると教えてもらい、結局、愛媛大に所属しながらこのセンターの専任スタッフとして働くことになりました。