ブレーブス、レッズ、カブスで15年間プレーし、ブレーブス時代の73年にキャリアハイの打率.294、16本塁打、82打点をマークするなど、通算打率.247、877安打、90本塁打、431打点を記録した。
来日したときは、すでに36歳。打率.269、12本塁打、46打点に終わり、「江川(卓)攻略の切り札になってくれれば。本塁打は25、6本を期待」という関根潤三監督の思惑どおりにはいかなかったが、願いは半分叶えられた。
9月21日の巨人戦、ラムは江川から6回に同点打、8回にも右中間に決勝タイムリーを放ち、逆転勝利の立役者に。さらに10月9日の巨人戦でも、4回に江川からバックスクリーンに決勝ソロを放ち、シーズン8度目の勝利打点で、巨人を首位から引きずりおろした。
同年、巨人が中日に0.5ゲーム差で連覇を逃したのは、一戦必勝のシーズン終盤に、江川が2度にわたってラムに痛打されたことが大きく影響したと言えるだろう。
最後は「ひいお祖父さんが日本人だった」という日系4世を紹介する。
阪急、ヤクルトで11年間プレーしたベネズエラ出身の内野手、ボビー・マルカーノだ。
そのルーツは、本人によれば、「曾祖父の姓はトモウラ。最初ペルーにいて、その後、ベネズエラに来た。伯母の話だと、サーカスにいたらしい」とのこと。
ペルーは南米で最初に組織的な日本人移民を受け入れた国で、戦前の移住者は3万3000人に上った。このうち、ボリビアやブラジルに移住した人々も多数で、ベネズエラへの移住者も何人かいたようだ。
マルカーノ自身も、来日前に伯母から「日本でルーツを探してきなさい」と言われ、初めて日本人の血が流れていることを知ったという。
その後、「トモウラ姓」「サーカス」をキーワードに京都在住の作家・藤井薫氏が1年以上かけて調査したところ、熊本県天草在住の浦本一市さんが「私の祖父の弟ではないか?」と名乗り出てきた。