「ちょっとずつだけど、自信がついていったのかなと思います」と風汰君。悩みながらもキャプテンという大役をやり抜いた。
「監督がこれまで求めてきた理想的な理想のキャプテンではなかったと思いますが、風汰なりに頑張れたと思います」と両親は話し、周囲への感謝を何度も口にした。卒業を間近に控えた今、当の風汰君は、キャプテンをやったことを、どう感じているのか。
「大変なことが多かった。でも、やって良かったと思います」
逃げちゃいけないと思ってキャプテンを続けたの? と聞くと、ちょっと考えてからこう答えて、笑った。
「そんな感じ……かな」
まだ12歳。この1年の意味を考えるのは、まだ先になるだろう。ただ、チームに残したものは、決して小さくない。
昨年12月のこと。5年生が実質の最上級生になる、代替わりの時期。地区の6年生たちを送り出す会で、風汰君は6年生代表として答辞のあいさつをした。
《耳の聞こえない僕がトップチームのキャプテンとなり、たくさんの迷惑をかけてしまいました。指示が遅かったり声かけができなかったり、キャプテンとしての仕事は全然できませんでした。キャプテンやめたい、練習に行きたくない、そんなふうに思ったこともありました。最後までキャプテンを続けられたのは、監督、コーチ、チームの皆さんが支えてくれたおかげです。(中略)いつも見守ってくれた、お父さん、お母さん。たくさんの人たちに支えられ僕たちは成長することができました。本当にありがとうございました》
《令和4年12月11日 間久里スネークス主将 木暮風汰》
マイクの前で答辞を一生懸命に読みきった風汰君の姿に、チームメートや風汰君を見守ってきた大人たちはボロボロ泣いたそうだ。
「日々、成長を重ねましたよね」(弓削監督)
耳の聞こえないキャプテンの頑張り続けた姿は、チームメートだけではなく、大人たちの心も育ててくれたのかもしれない。
(AERA dot.編集部・國府田英之)