1位 酒井忠次 / 家康にもっとも近く安定感も抜群

 智将の第1位は、3項目が満点の酒井忠次だ。

 忠次の妻が家康の伯母にあたり、自身は家康より16 歳年長で、人質時代の従者では最年長。これだけ年齢差があれば、若き家康から頼みにされたに違いなく、福谷城で柴田勝家の侵攻を退け、三河一向一揆では家康支持の姿勢を貫き通すなど、終生忠節を貫いた。

 すでに家老の職にあったが、三河国統一達成時には東三河の旗頭をも任ぜられ、今川氏と縁のある国衆たちを統率。永禄七年(1564)の吉田城攻めでは先鋒を託され、無血開城を成功させた。

 今川領の分割に際しては武田側との交渉を担当。長篠の戦いでは武田側本陣背後にある鳶ヶ巣山砦を奇襲により陥落させ、包囲されていた長篠城の救出を果たす。

 しかし、天正七年(1579)の築山殿事件では、謀反の嫌疑を受けた家康の嫡男・信康のために十分な弁護ができず、生涯の汚点となる。

 天正壬午の乱では甲斐・信濃国衆に対する懐柔工作に従事。小牧・長久手の戦いでは、松平家忠とともに羽黒に着陣した森長可に奇襲を仕掛け、敗走させた。

 石川数正が出奔してからは唯一の家老としてますます責任が重く、その翌年には家中で最高の従四位下・左衛門督に叙任されるが、よる年波も考慮して、天正十六年(1588)には家督を嫡男の家次に譲り、隠居を許された。

週刊朝日ムック『歴史道 Vol.25 真説!徳川家康伝』から抜粋 

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