新田氏の愛用のカメラ
新田氏の愛用のカメラ

 長い時間をかけて丁寧に撮影された写真からは、被写体との関係性を最も重視する写真家のスタンスがうかがえる。ボタンを一つでもかけ違えば、作者の政治的主張が優先された作品になる可能性もあったと思うのに、新田さんはそういう方法を選ばなかった。そこに彼の仕事の美しさ、彼という人の美しさが感じられた。

 自分の部屋で、自分の椅子に座ったまま、SNSで遠くの他者と安易に「論争」ができてしまう時代になり、その傾向は新型コロナウイルスの流行以降、加速しているようにみえる。新田さんの写真は、ともすれば見過ごされてしまうほど些細ではあるが、どんなに便利になっても、生きている以上は決して省略することができないなにかを、静かにわたしたちに見せてくれる。

 当事者としてある問題に取り組むことの重要性の先に、ならば第三者としてどのように世界と関わることが可能なのか、という問いがある。他のノミネート作品をおさえて本作が受賞した理由は、ときに挫(くじ)けそうになりながらも新田さんが「Sakhalin」で、その問いと向き合っていたからかもしれないなと思う。目の前にいる人と「いま」を共有し、それを積み重ねていくことでしか生まれないものがある。この気づきを得られる本作は、未来の課題と最もコミットしているように思う。(写真家・長島有里枝氏)

■ 重層的な記録の静かな訴え

 私的領域、社会的領域、そして、自然環境を、各候補作は、幅広く独自のアプローチでカヴァーしており、今日に於ける写真の意味を考えさせられる選考だった。

 中国の急激な発展とは、最早、クリシェのような言葉だが、王露は、その急激な変化から取り残された時間の中でゆっくり生きる――生きざるを得ない――父の姿を、家族としての近さと、記録者としての距離との間で捉え、感銘を与えた。

 吉田亮人の作品も、他者が入り込めない私的領域の記録であるが、王露より内向的である。しかし私は、一人の人間が、被写体として即時的にプロジェクト化してゆき、死を以て完結する、というこの本の作りに、何とも言えない違和感を覚えた。そんなことを言い出せば、写真は撮れないじゃないかというのは重々承知だが、せっかく門外漢の選考委員として参加しているので、選考の場でも敢えてそれを表明した。

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小説家・平野啓一郎氏のことばの続き