私は文字で補足しなければ解釈できない作品よりも、作家の意図とは違ったとしても写真だけで様々な解釈を想像させてくれる作品に興味をひかれますが、「Sakhalin」は写真を見ながら同時に文章を読むことを忘れるほどに写真に、写真集に吸い込まれました。そして文章が添えられていると言う理由からではなく、引き込まれた写真にどのような文章が載せられているのか知りたくて再び初めのページに戻りました。
新田さんにとって「Sakhalin」に登場する人達が物理的に離れた場所にいても自身の家族のような存在になっていたのだということは容易に想像がつきますが、その境地に行き着くまでの時間の長さと、「Sakhalin」に常に真摯に向き合い続けた覚悟を持った精神力は想像することも憚(はばか)られます。きれいも汚いも希望も諦めも様々な人間の感情を、触れたら壊れてしまいそうな繊細なところを新田さんは純粋に素直に受け止めて歴史を編んでいくのです。心が心に話しかけてくるのです。
「世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。それは心で感じなければならないのです」(ヘレン・ケラー)(写真家・澤田知子氏)
■生きている以上は 決して省略することができないなにか
『Sakhalin』はとても美しい。
一瞬で人の目を釘付けにするとか、テーブルに並ぶ100冊近い写真集のなかでひときわ輝きを放つとかというわけでは(少なくともわたしには)ない。けれども、審査の過程で他の本からこの本に戻ってくるたび、わたしが見たかったのはこういう写真だったのだと思った。ページを繰る回数を重ねるごとに、その実感は確信に変わりもした。
本作には、日本の戦争に翻弄された女性たちが登場する。敗戦後、国籍を理由に日本への帰国が許されなかった人たちだ。若い頃、旅の途中でサハリンを訪れた新田さんは、そこで出会った人を通じてそのことを知る。そしてのちに、このシリーズに取り組む。