哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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昭和大学という医療系の大学で理事をしている。「世間の常識」を代表して、理事会の審議内容に疑義があれば質(ただ)す「小言幸兵衛」のような仕事だと言われて引き受けた。私に「世間の常識」を代表させるのはかなり無理があると思うが、医学教育と病院経営の現場に触れる機会を得たのは私にとっては裨益(ひえき)するところが多かった。
だから、東京医科大学の入試不正の報道が出た後、理事会で「本学はそういうことはしていないでしょうね」と質した。「ありません」という回答を得て安堵していたら、翌月の理事会で、実は現役・1浪生に加点していたこと、同窓生子女を優先的に補欠合格させていたことが文部科学省の立ち入り調査で明らかになったと聞かされた。前月と話が違うので、いささか気色ばんだら「不正だという認識がなかった」と説明された。文科省から改善の指摘を受けたので、それに従うことになったそうである。
私学の場合、「望ましい学生像」は大学ごとに違う。「建学の精神を理解し、忠誠心を持つ学生が欲しい」という願望はどこの大学にもあり、「総合的に判断する」というのは、ペーパーテストの点数以外のファクターで合否を決めるということである。推薦入試もAO入試もその趣旨で行われている。その意味で、私学の入試には完全な公平性は期し難い。そもそも「学力試験の点数だけで合否を決めるべきではない」というのは世論の大勢である。
だから、問題は透明性の方になる。合否に「学力試験の点数以外のファクター」を関与させるのは大学側の自由である。だが、そのことはあらかじめ受験生に開示されなければならない。仮に女子や多浪生を避けたい、同窓生子弟を優先合格させたいというなら、その「アドミッション・ポリシー」を公開するのがことの筋目である。開示しなかった以上、それが「実は許されないこと」だと知っていたと解されても弁疏(べんそ)の余地はない。
制度上の不備は技術的に解決できる。だが、アドミッション・ポリシーそのものに瑕疵(かし)があるとしたら、それは教育者としてのわれわれの見識が問われているということになる。
※AERA 2018年10月29日号