かつてのサッカー強国・ユーゴスラビア代表は多民族で構成されていた。紛争で故国を離れ移民先のスイスで代表となった選手のW杯での鷲のポーズは何を意味するのか。
【写真】コソボサッカー協会会長だった故ファディル・ヴォークリ氏
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サッカーW杯ロシア大会で、決勝進出を決めたクロアチアの躍進が光っている。かつてユーゴスラビアを構成していた6共和国の一つで、1991年に独立を宣言した国だ。
本大会が始まる5日前の6月9日、民族融和が実現していたユーゴ時代のサッカーを知る一人の重鎮が亡くなった。コソボサッカー協会の会長ファディル・ヴォークリ。57歳の若さだった。
コソボのアルバニア人であるヴォークリは、元日本代表監督イビツァ・オシムがユーゴ代表監督時代の選手(代表戦12試合6ゴール)で、現役の頃からオシムの薫陶を受け、会長就任後は民族融和を掲げてコソボの国際サッカー連盟(FIFA)加盟に貢献した功労者である。
アルバニア人が多数派を占めるコソボは、セルビアからの独立後もセルビア人を含む国内の少数民族の人権が保障されるのか疑問視され、国連への加盟もユネスコ加盟も果たせていない。
●民族の共存を謳う憲法
しかし、サッカーの世界ではヴォークリの努力が実を結び、2016年のFIFA総会で加盟が承認された。FIFAはコソボ協会に対し、試合の際は多数派のアルバニア人サポーターにコソボ以外の国旗、すなわちアルバニア国旗を振ることを禁止するよう通達を出していた。
そもそもコソボでは1999年のNATO軍空爆によってセルビア治安部隊が撤退した後、約4千人のセルビア系民間人が拉致・殺害されている。この事態を危惧したヨーロッパは、多民族国家とすることを条件に建国を承認。国旗は複数民族を表す六つの星で構成し、コソボ憲法もまた、多民族共存を謳う。コソボは「アルバニア人のものではなく、コソボに暮らすすべての民族のもの」というのが、国家成立の前提であった。
私はコソボに取材に行く度、ヴォークリに話を聞いた。その都度、彼はこう明言していた。