バルカン半島出身のサッカー選手ならば、14年10月14日の欧州選手権予選、セルビア対アルバニアの試合に何が起こったのかを知らないはずがない。試合の最中に飛来したドローンに、コソボとアルバニアを合併させ、ギリシャ、マケドニア、モンテネグロまでも領土を拡大した大アルバニアの地図が吊るされていたのだ。犯行を指示したのはアルバニアのラマ首相の弟であった。試合はぶち壊され、大きな遺恨を残した。
大アルバニア主義はコソボ独立ではなく、他国への侵略行為であり、鷲のポーズはセルビア戦において最も自重すべき行為だったのである。
16年秋、私はW杯予選を戦うコソボ代表に密着していた。チームを率いるアルベルト・ブニャーキ監督(当時)は、ボシュニャク(ムスリム)やセルビア人のプレーヤーにも声をかけていた。在外のコソボ出身のアルバニア人選手の起用も検討しており、ジャカとシャチリにも熱心に電話でオファーしていた。
「そちらに行くから会えないか」
「説明する時間をもらえないか」
しかし、彼らはこの申し出を断っている。チームとしてW杯に出場の可能性の高いスイス代表を選択したことは尊重されるべきだ。しかし、それならば、なおのこと「コソボへの思い」とは矛盾しないか。
大アルバニア主義の勃興はテロの脅威も呼んでいる。
コソボ国営放送のRTKはNHKとJICAの協力を得て、アルバニア人とセルビア人両民族のスタッフによるリベラルな番組作りを進めているが、16年8月、同局の建屋とシャラ・メンター会長の私邸に爆弾が投げ込まれた。犯行声明は、「メンターは国境問題について我々の立場をまったく伝えない。即辞任しなければ、さらに攻撃をエスカレートさせる」であった。
16年10月、アルバニアとコソボの合併を主張することで支持を得ている極右政党ヴェドベンドーシュ(自己決定党)のビザール・イメリ党首に、党本部でインタビューすると、こんな言葉が返ってきた。