■みてあげたいけど、お金も環境もない
一方で、ある40代のひきこもりの男性の兄は、
「おまえはおまえ。俺は俺。親が死んだら、自分でやってくれ」
と宣言しているという。「きょうだいは他人のはじまり」などという言葉もあるが、現実にこの言葉をきょうだいに突きつけるのは、心理的にハードルが高いはずだ。
ひきこもりの当事者は、相談の場でこんな本音を話題にし始めた。
「きょうだいのお荷物になるのは嫌。結婚したきょうだいには配偶者もいて、近くには住みづらい。親がいなくなったら、きょうだいに財産をあげてもいいから、自分が住む家だけはなんとか確保したい」
なかには半分冗談のように、
「親亡き後は、生活保護を受けるか、死ぬかどっちかかな」
などと発言することもあるという。
「軽い冗談のようにそうは言うものの、親がまだ元気なうちは真剣に考えたくないというのが本当のところだと思います」(藤原さん)
きょうだい同士はほぼ同世代であることを考えると、きょうだい側も「親亡き後」を本当にリアルに考えられるようになるのは、今後5~10年後ではないかと藤原さんは予測する。
現実問題としては、一般的に、親亡き後の当人の衣食住の負担は、きょうだいにのしかかる。
藤原さんは、きょうだいが将来どう対応するかは、次の三つのパターンがあるとみている。
(1)(面倒を)みない(みたくない)
(2)みる(お金も気持ちもある)
(3)みられない(気持ちとしてはみてあげたいけれど、お金も、みられる環境もない)
藤原さんは、対応するキーパーソンが、親からきょうだい世代にバトンタッチされれば、(3)の人が圧倒的多数になるだろうと予測する。年金頼みとはいかない世代だからだ。
例えば、都営住宅に住む両親が亡くなった場合、同居していたひきこもりの子は、親の名義の都営住宅には住み続けられない。名義人の死後、その配偶者以外は 継続して住めなくなる(ただし、高齢者、障がい者、病弱者は配慮される)。たとえ彼らが親の持ち家に住んでいても、遺産分割で揉め、家を売らざるをえないケースも想定される。