生後7日目。NICUの中でお七夜をした。丈太さんは病院の食堂で礼子さんの母親に習って何度も練習し、命名書に大きく「希望」と書いた。
8日目。医師から「何かしてあげたいことがあれば言ってください」と言われた。別れが近づいていることを悟った。希望くんとの面会を終えた礼子さんは、NICUから廊下に出た途端に涙がこぼれた。担当の助産師が付き添って、ソファに座り話を聞いてくれた。礼子さんは「直接おっぱいをあげたい」と伝えた。これまでは搾った母乳を綿棒であげていたからだ。
夕方、希望くんに会いに行くと、モニター音も消され、胃まで入っていたチューブも抜かれ、初めて直接授乳した。医師や看護師は席を外し、家族3人だけにしてくれた。
夫婦で代わる代わる胸の上に抱く「カンガルー抱き」をしていると、昼はとても苦しそうだった希望くんがウソのように穏やかな表情になった。
だんだんと希望くんの手足の先が冷たくなり始めた。NICUの外にいた礼子さんの両親も呼ばれ、もう最期なのかと覚悟した。希望くんはいつ逝ってしまったのか気づかないほど、礼子さんの腕の中で安らかに亡くなった。
最初で最後の沐浴をした。目を閉じた希望くんは、とても気持ち良さそうに見えた。
退院の日。希望くんを抱き、丈太さんと一緒に、病院が手配してくれた葬儀社の寝台車に乗り込むと、産科や新生児科の医師や助産師、看護師たちが出口に並び、車が見えなくなるまで見送ってくれた。感謝の気持ちで涙を流す礼子さんに、男性運転手は言った。
「赤ちゃん、どこも見てないんですよね。東京見物して、きれいなところを見て帰りましょうね」
わざわざ遠回りをして、東京タワーへ。その後、レインボーブリッジや横浜ベイブリッジを通り、横浜へ着くと、「みなとみらいをぐるっと一周しましょう」と言ってくれた。
そこは、赤ちゃんが生まれたら一緒にお散歩に来ようと思っていた場所だった。妊娠中は流産や死産が怖くて、必要最低限の外出以外は避けていたから、希望くんをどこにも連れて行ってあげられなかったという悔いがあった。運転手の思いもよらない温かい気遣いに、また涙がこぼれた。